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category外伝

外伝 デザートローズ 15

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 泣きもせず、逝ってしまった翁を覗き込んだ女の丸くなった背中が、エルンストの眼にはただただ華奢に映った。
 身にまとったその黒衣に隠された魂は、一体幾つの死を見送ったのか。少なくとも、彼女の夫。それから、従者たるヤーク。
 近しい者を見送る苦しみを、知らぬエルンストではない。
 身じろぎもせずに座り込んだアゲートに、かける言葉は何もなかった。死を悼む猶予は、夜明けまでの僅かな間しか残されていないのだから。
 エルンストは横たわるヤークの傍に歩み寄る。
 ちょうどアゲートの対面に膝を折る形で彼に向い、その手をとる。
 皮膚の固くなった指先に伝わる生ぬるさ。その温かさは、まだ生きているのではないのかと思いたくなるほどだ。
 だが、確かに血流は停止していて、拍動は指に伝わってこない。
 人の命はあまりにも脆く、生の幕切れはあっけない。劇的な事など何もなく、驚くほどあっさりと人は逝く。
 見下ろした皺の浮いた口元に曳かれた黒い筋。その吐血の跡を指の腹でさりげなく拭ってやる。
 綺麗にとまではいかないが、それでもそのままにするよりは良いだろう。
 老いて肌の張りを失った両手を刺さった刃を避けて胸の上で組ませて、額に砂を一つまみ載せる。
 本当は凶器も抜いてやりたかったが、今それをするのはためらわれた。遺体の惰性運動が鎮まるまでは。魂はなくとも、体はまだ、活きている。
 しばしの瞑目。
 アシュヴァン特有の葬送だ。
 ちらり、と見やったアゲートは、未だ俯いたままだ。垂れ下がる髪に埋もれた顔。
 去来する故人との思い出を、噛みしめているのだろうか。
 太陽が昇れば、ここを離れなくてはならない。もちろん、彼を連れて行く事はできない。
 だから、男は何も言わず、出来るだけそっと立ち上がった。
 その場からほんの少し離れ、懐に入れた獣笛を取り出した。
 唇にあてがい、一気に息を吹き込む―――音は鳴らない。戦闘の最中に散ったライネルを呼びよせるためだ。
 三頭が戻るまでの手持無沙汰に仰いだ空。瞬く星は、男の蒼い瞳に濁って映った。


 
 月明かりの下で静かに永眠る(ねむる)ヤークを見つめる。
 初めて出会ったのは幼少の折。
 若く、精悍だったが、それに反して屍のような瞳を持っていた彼も、重ねた年月の分だけ老いた。
 ずっと、死に場所を求めていたヤーク。否、罪と罰の狭間で、許しを請うていたのかもしれない。
 そして、己自身もまた―――。
 気を利かせたてくれたのか、エルンストの気配は近くにない。
 その事にやっと気がついて、吐息を漏らして空を見上げた。頸が痛む―――どうやら、随分と長い間自失していたようだ。
 砂漠の夜は、空も、大地も、星の海にさらわれるがごとく瞬く闇に覆われる。命を燃やし尽くさんばかりに輝く星達は、今宵はところどころ霞掛っている。
 双子月も翳って、研がれた爪の先端が折れていた。
 不意に、涙が頬を滑って行く。
 今更、何を泣く必要がある。最初から、誰一人救えない事など承知の上だったではないか。
―――わたくしは、姉様のようにはなれない。
 音もなく溢れて行く雫に景色はより一層混ざり合って、最早、天が啼いているのか己が喚いているのか区別がつかない。
 愚にも付かぬその想いに、女は泣きながら笑った。
 納得行くまで混沌を仰いだ後、再び彼女は俯いた。そして、眼線の先の刃に手を伸ばす。
 ヤークの胸に深く突き刺さったそれを引き抜くのに、酷く難儀する。
 てのひらを傷つける事もいとわず力を込め、何度か漕いでようやく抜けた。
 老爺の身の内にあった部分は黒く変化して、刃の精度を覆い隠しているように見えた。
 これならば、怖くない。
 握り込んだ力で手に食い込んだ痛みは、自分に与えられた罰なのだと思えば耐えられた。
 そしてアゲートは、初めてヤークが抱えた苦悩の一片を知る。
―――あなたも、こんな気持ちだったのですね、ヤーク・・・。
 たなごころに収まったそれを両手で握って首に押し当て、瞳を閉じる。
 腕を引こうとぬめる刃をぐっと握ったその時。
「自ら死んで叶う贖罪など、ありはしないぞ」
 びくり、と一瞬背を震わせて瞼を開ける。
 気付かれるとは思っていなかったのに。
 声を無視して手を動かしたつもりだったが、それは叶わなかった。
 強い力で己の手首を掴んだ男の体温が、焼けるように熱く感じる。
「あんたが死んでも、失われた命は戻らない。無念を食んだ民の想いはどこに収めるつもりだ?」
 エルンストの言葉に驚愕を刷いて、咄嗟に顔を上げた。
 おもいがけず近くにあった男の顔。彼が一瞬息を呑んだ事が伝わってきた程に。
「貴方は一体、何者なのです? わたくしの何を知っているというのです」
 その問いに、男はフ、と微かに笑んだ―――気がする。
 月を背にしたその顔は、深い影に塗りつぶされている。
「まず、一つめの答えだが」
 ヤークの脇でアゲートと向かい合い、世間話でも始めるような声音でエルンストは話し始める。
 彼もまたそこに座りこんで、言葉を紡ぎながら固く握った彼女の指を一本ずつ開く。
 男に抵抗しているのではなく、手がそのまま硬直して己の意思で動かないのだ。
「俺はもう一つ名を持っている。エルネスト=ファンジャレイト=リグレキアというのだがな」
 エルンストの台詞に眉根を寄せる。
 思わず、彼の顔を覗き込む。
「ファン・・・ジャ・・・レイト」
 声にすると、余計にその奇妙な符号が際立った。
 何故、自分と似た名を持つ者がいる。
 故郷で神事に使われる古い言葉を思い出す。
 エル―――統治者
 ネスト―――次代の
 ファンジャレイト―――ファンジャブリアの地に生きるレイトの血統
 リグレキア―――大地と家畜の神リグレキアを尊ぶ者
「俺の祖先・・・現在アシュヴァンと呼ばれる者達がこの地に移住してからもう五百年になる。ちょうど、ファンジャバールが建国されたのと同じ頃だ」
 五百年前、ファンジャブリアの地には遊牧をやめて定住地という安息を求めた者達と、自由を愛して国家という足枷を疎んだ者達が居た。
 建国を推し進めた主流血族はバール家―――現在のファンジャバール王家に。そして袂を分かって人の足では越えられぬはずの山を下って未開の砂漠―――アシュ地方に移り住んだ主流血族がエルンストの祖先だ。
 その時、エルンストの祖先は姓をアシュヴォレイトへと変更している。
 バール家と違ってレイト家は王権を持たなかった。国家という在り方を否定し、統制そのものを遠ざけたのである。
 何よりも自由を好んだアシュヴァンの気質は時を経てオアシス共同体という独自の体系を生み出し、血に刻まれた遊牧の記憶はガイドという生業へと姿を変えた。
 エルンストがもう一つの名を与えられたのは、レイト家の当主であるからだ。それは王政復古のためではなく、歴史を語り継ぐというただそれだけの為に起因する。
 無論、歴代の直系当主だけが受け継ぎ、通常は次期当主以外には語られずに冥府まで持って行く事柄である。
「俺は、国という枠組みの中に身を置かない人間だ。だから、統治者としての気持ちも、まして統治される者の気持ちもわからん。それでも、もし俺があんたの国の民だったなら、自分だけ逃げて助かったくせに、それでもやはり死にますってのは許せないね。命あるものの傲慢だと思うがな」
 生きる事も、死ぬ事も、個人の自由と言えば確かにそうなのかも知れないが、それでもエルンストは、命ある者は最後まで懸命に生きる努力をするべきだと思う。
 そうでなくては、生きられなかった者達の想いは、収まるべき場所を無くしてしまう。
 遺されたものを受け継いで行くのは、生きている者なのだから。
「身勝手は承知の上です。真実民の為を思うなら、姉様のように身を売ってでも彼等の命を購えば良かったのです。それでも、わたくしは逃げる事を・・・いえ、ヤークの提案を選びました。この人の贖罪を全うさせたかったから」
 たくましい指にいつの間にか掌は開かれて、傷口を手際よく処置してゆくエルンストの手元をじっと見つめる。乾燥した葉に軟膏のようなものを延ばしてそこにあてがう周到さに苦笑した。
―――どうせ無駄になってしまうのに。
「愛していたのか」
「愛などと、そんな生易しい関係ではありませんでした、わたくし達は。いっそ情を交わせたなら、事はもっと簡単だったのかもしれませんが・・・」
 そこで一旦言葉を止める。
 巻かれてゆく細長い麻布が、肌を白く染める。
 物事に白と黒の区別しかなかった幼少の日々。あの頃にはもう、戻れない。
「ヤークは、ニヒケッテにその人在りと謳われた武人でした。それと同時に、国の奴隷であり、戦争被害者であり、戦争加害者でもありました。そんな彼と初めて出会ったのは、わたくしがまだ幼子の頃です。父王の暗殺を企ててファンジャバールの後宮にたった一人で乗り込んできたヤークと、皮肉にも最初に鉢合わせしたのがわたくしだったのです」
「それなのに、爺さんはあんたの従者になったって訳か。お互いによく納得できたな。・・・いや、爺さんよりも王族側がよく許したな」
 そう述べた男の言葉に苦笑する。
 このガイドもまた、徒者ではない。
 すっかり手当が終わった手をまた傷のない方で覆って、小さな息を吐き出す。
 故人を隣に、その先を話すのを一瞬ためらう。
 だが、隠しても気付かれてしまうような気がした。
 否、そんな言い訳をして、誰かに吐露してしまいたいのかも知れない。
「もちろん、そういう関係に収まるには理由があったのです。あの頃のわたくしには理解できない事でしたが」
 姉姫サフィアナが何よりも恐れたのは、ヤークの暗殺計画失敗を知ったニヒケッテ王が卑劣な手を使って政治的に関与してくる事だったという。
 ニヒケッテがファンジャバールの情勢を監視している事は間違いなかったから、姉はそれを逆手に取ったのだ。
 ニヒケッテの中枢に明るいヤークを生かして内部情報を開示させ、かの国が次手を打って来る前に第一皇女―――サフィアナの輿入れを提示したのである。もちろん、同盟国加入の為の人質としてだ。
 ニヒケッテの侵攻を逃れ、且つファンジャバールという国の名を残して民の命を守る為の選択肢は他に残されていなかったのだ。
 その結果第一皇女にニヒケッテが用意したのは、側室ですらない、寵姫という立場だった。それでも 彼女は、民の為に甘んじてニヒケッテ王の娼婦となった。
 圧倒的な武力差の前に、交戦する道を選べぬが故の屈辱的な選択だったと言える。
 だが、そうまでして守った民は、国の開闢以来の醜聞だと王室を非難したが。
「ヤークは、自ら奪った命の数だけ、己は苦しむべきだと考えていたようです。ですから、自害する事も選べずにここまで来ました。初めて出会ったあの日、凄惨な死を持って自身の人生に幕を引く予定だったのでしょう。けれど、わたくしの姉サフィアナは、わたくしを守って生きよとヤークに命じました。
 ・・・何故姉がそう言ったのかはわたくしにはわかりません。結果ヤークは後宮に入るため、処刑の代わりに去勢を施されました。確かに彼はたくさんの命を奪いました。けれど、それは本当にこの一粒の砂程の隙もないほどに悪だったのでしょうか。彼の生き様が、わたくしにはただ哀しくてなりませんでした。だからと言ってその事が民を捨てる理由にはならないのも承知しています。立場を弁えず責任を放棄した愚かな女なのです、わたくしは。だから、あなたが止める程の価値がある命ではないのです」
 少しずつ青くなってゆく大気の最中に、女の声だけが滔々(とうとう)と染みてゆく。
 数万の民の命より、ただ一人の男の魂を救ってやりたかったなどと、そんな愚かな考えが通用するとは思っていない。
 それでも、理屈で割り切れぬ想いがあったからこそ現在(いま)この瞬間がある。
 民の恨みも、怒りも、無念も、全て受け止める覚悟はできている。
―――だから・・・・
「だから、わたしくしを逝かせて下さい」
 瞼を閉じて仰いだ頬に、涙がまた一筋流れて行った。


 14へ最終話へ

〔テーマ:自作小説(ファンタジー)ジャンル:小説・文学

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