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category亡国の唄声編 初章

第3部 初章 嘆きは往来にこだまして

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◆亡国の唄声◆


 
 唄声は天にこだまして、神の祝福は大地に満ちた
 人々よ、希望を見失ってはならぬ―――尊き神はそう云い給うた



 体系経典第一章四節より

「シグモンドさんっ、待ちなさい!」
 ヒィヒィと苦しそうに呼吸を乱しながら、命からがらの様相で大通りを逃げて行く中年男が一人。当人は目一杯駆けているつもりだろうが、よたよたと動く足は速度を下げつつあるようだ。ここまで随分追われたのか、最早軽快にとは行かぬらしい。
「もうカンベンしてよ」などと口では言っているが、苦しい呼吸に喘ぐその表情が時折楽しそうににやけている。
 その後方から彼を呼びながら、こちらは呼吸を乱しもせずに距離を縮める女。
 首裏で縛った銀髪を颯爽と靡かせ、身につけたレザーメイルの重さをものともせずに走りぬけてゆく。
 往来でそれを見ていた男が口を開く。
「あ、あれベスんとこの子だ」
 呟いた男の傍らに立っていた黒髪の男もまた、その光景を目で追いながら答える。
「ああ、確か白鳥(はくちょう)とかって二つ名を持っている・・・」
「そうそう。あ、追いついた」
 女は二人の視界から消え失せる前に見事中年男に追いついた。
 だらしなく振られていた男の腕を捕まえて、その足を払う。
 可動域を妨げぬようむきだしになっている太ももが、乱れる事無く弧を描いたその直後、男は往来に伏して伸びた。
 派手な動きにもかかわらず、彼が頭や尻を打ちつけるような事にならなかったのは、倒れ込む寸前で彼女が掴んだ腕をひきあげたからだ。
 どうやら、こういった捕物劇に慣れているようである。
 往来に行きかう人々も見慣れた光景なのか、誰もが笑ってそれを眺めている。
「またやってるのか」などと言う者も混じっている始末だ。
「白鳥とか揶揄られてる割には、なかなかどうして様になってるじゃない」
 そう言って、小麦色の髪をかきあげながら楽しそうに笑う男に、傍らの男が精悍な顔に渋い表情を浮かべる。
 切れ長の琥珀色の瞳が咎めるようにして彼を見ると、それにわるびれもせず余計にニヤニヤとだらしなく頬を崩す様子にため息を吐き出した。
「カミュ、あの子に手を出すのはやめておけ」
「珍しいね、ゼオン。いつもならほどほどにしておけって言うだけなのにさ。堅物のゼオン団長の意中の人だったりするの? ひょっとして」
 石窯で溶けたチーズのように、紅玉色した垂れ気味の目を更に暑苦しく下げてカミュと呼ばれた男は問うた。
 黒髪の男―――ゼオンは苛々と頬を歪めて、噛みつくように声を張る。
「馬鹿もたいがいにしておけ、と俺は言っているんだ! 毎回毎回お前のケツ持つのはごめんなんだよ。それに、今回ばかりは相手が悪い。ブリムネス卿が絡んでるんだよ、あの子には」
 意識的に語尾を小さくしてゼオンはそう吐きだした。
 その内容に、カミュは少し驚いたように眼を見張る。
「曰く付きの入団だったって聞いてたけど・・・へぇ、ブリムネス卿がらみなの。うわぁ、燃えるね!」
「この、馬鹿野郎が!」
 仰々しい捕物劇の片隅で、男の恫喝が空しく響き渡った。
「下(しも)のゆるささえ無かったら、お前はとっくに俺よりも昇進しているはずだ。何故、それがわからん!」
 心から嘆く様に額の髪をガリガリとかきながらゼオンは漏らす。
 怒鳴られた事に目もくれず、情けなく呟いたゼオンを無視したままカミュは口を開く。
「女性騎士にしちゃ小さくてかわいいじゃない、彼女。ベスみたく男顔負けの体格じゃ俺の方が食われそうだし? 征服欲かきたてられるっていうのかな。見ろよあのシグモンドのうれしそうな顔。あの男、ウェナが当直の日にしかやらないんだぜ。ヤツの気持ちは痛いほど良く解るよ、俺」
 懲りもせず際どい発言を繰り返すカミュの背後から、不意に低く掠れた声が掛った。
「ほう、誘えば私の相手もしてもらえそうだな、カミーユ=ソレム」
 ぎょっとして垂れ目の男が振り向くと、そこに鍛え上げられた肉体を持つ者が立っていた。
 髭でも蓄えていたら誰もが男だと間違えるだろうが、カミュが凝視した顔は化粧気がなくとも女性のものである。
 女性特有の丸みを削ぎ落したレザーメイル姿のその女は、先ほどから彼等二人の話題に上っていたベス当人である。
「俺なんか相手にしてたら、求心力無くなっちゃうよ? ミラゼル団長」
 若干焦りを刷いた顔つきで誤魔化すように返してくる、ほとんど背丈の変わらないカミュを灰翠の瞳で見下すように一睨みして、ベスは黙って突っ立ったままのゼオンに視線を流した。
「ソレムが副長だという事には同情するが、団員の教育をやり直した方が良い、ソンフォール。やっと使えるようになってきたうちのプランバムに手を出されてはかなわん」
 冷たく放たれたその台詞は、彼女のかすれ気味の低音でさらに凍りつくような錯覚を起こさせる。
 痛いところをつかれたとばかりにゼオンは一瞬絶句し、憮然とした調子で口を開く。
「・・・すまん。よく、言い聞かせておく」
「頼んだ」
 満足気にベスは頷いて、視線を往来に向けて声を張る。
 その声は、低音にもかかわらず実によく通った。
「メリィ、行くぞ!」
 いつの間にか、シグモンドの両手を縄で縛り、それを引いて銀髪の女がこちらに向かって来ている。
 カミュの言葉通り、ベスと比べて彼女はとても小柄だった。
 その女性騎士―――メリィは、左右で色が違っている瞳で柔和に笑って答えた。
「はい! ミラゼル団長」
 騎士団内で最下位を意味する“プランバム”のメリィに合流して去って行くベスの後ろ姿を見送って、ゼオンは我知らぬうちに再び溜息を吐き出した。
 縄で引かれて往来を歩いて行くシグモンドと、己の片腕であるはずのカミュは、相変わらずへらへらと笑っている。
 そんなカミュに怒りがこみ上げる。
 ゼオンは物言わず、小麦色の頭をはたいた。
「イテ!」
 それでも、ゼオンの苛立ちはおさまりはしなかった。



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