リッキーは彼―――否、彼女を育んだ故郷の波打ち際でそれを見守っていた。
ロードライトは満ち満ちた水面を優雅に歩きながら、弟子の周りに杖で軌跡を描いた。
まず、一つ。三角形を、彼女の頭上で頂点になるように。
一度しゃがみこんでメリロの眼帯を剥いで傍らに投げ捨てる。
二つ目、同じように反対向きにもう一つ。
つま先の延長線上で結ばれたその星は、リッキーが今まで見てきた形とは少し違っている。
それは、六芒星―――ヘキサグラムだった。
友人の頭上とつま先で結ばれたそれぞれの天から、ゆっくりと光を変えながら伸びて行く。
リッキーの瞳には、その変光が至極幻想的に映った。
二つが同時に完成したのと同じくして、メリロの躯から光が伸びた。
六つの角を経由して、真円が出来上がった。
ざあ、と水がドーム状に跳ね上がる。
「わぁ」
リッキーの口から、思わず感嘆の声が漏れた。
少年が見守っている限りでは、友人はただ眠っているだけのように見える。
メリロの師が言うように、暴走しているなどとは到底思えない。
その師はというと、出来上がったばかりの半球体の外側で、なにやら呪を唱えている。
あいにくと、リッキーの座っている所までその内容が届くことはなかった。
ロードライトの瞳が開いた瞬間、それは瞬時にして凍りつく。
「凍った・・・」
少年にどうしてそれがわかったのかと言うと、そのあたりの波打ち際が一瞬だけ動きを止めたからだ。
そして、すぐにパリパリと音をたてて弾けたから。
だが、波間の氷は自然が持つ力に耐え切れずに割れてしまったが、半球体のそれは光の上できちんと形を保っている。
また優雅な足取りでゆっくりと波打ち際に戻ってきて、リッキーの隣に腰を下ろす。
「お師匠さん、この後はどうするの?」
「黙ってみているだけだね、今は」
誰かが呼んでるような気がする。
でも、このまま眠ってたい。
だって、今まで生きてきた中で、一番っていうくらいに心地良いんだもん。
だけど、起きたら楽しい事が待っているような、そんな気もするわ。
いいわ、一度起きるわ。
それを確かめてから、もう一度寝れば良いわ。
「あ・・・」
「始まったね」
それは、唐突に始まった。
まずドームの中が朱に染まった。
正確には、炉の中ので熔ける金属のような燃ゆるあか。
さらにそこから蒼を経て白へ。
リッキーは、先ほど家でみた幻炎に似ていると思った。
だが、それが同じものではないとすぐに分かった。
白い蒸気がドームの周りを覆って、あたりは霞みがかったようになる。
もちろん、メリロが中でどうなっているのかは見ることができない。
リッキーは、そこでようやく、ロードライトの言葉の意味を理解した。
メリロが暴走すれば、一瞬で蒸気が発生するくらいの高温の炎があらわれるのだ。
この状態が乾燥したアシュケナでおこると、たとえロードライトがいたとしても少なからず街は巻き込まれていただろう。
だから、海に囲まれたこの国でしか対処できないと言ったのだ。
白濁とした景色を、目を凝らして見つめていると、目が慣れたのかわずかだがドームの状態が見えてきた。
凍りついたドームの頂点が融けて、そこから真っ直ぐに蒸気が上に逃げ出している。
だから、少しだけ視界が良くなったのか。
徐々にその穴は広がっているように思える。
視界が良くなったのはその一瞬だけで、今度は余計に視界は悪くなった。
海の水がずいぶん蒸発している。
もう視界はゼロだが、リッキーはそれでも目をそらすことが出来なかった。
友人の瀬戸際の一時も見逃してはならないと思った。
自分にもそうしてくれた様に。
ポツン
一滴、リッキーの頬に。
「雨・・・?」
その声を皮切りに、雫となった蒸気が勢い良く注ぐ。
それが、白濁とした大気を洗い流して行く。
それは、本当に少しの間だった。
あたりのもやが完全になくなった頃、雫も注ぐことをやめた。
水気を含んで瞼に垂れかかる髪を手で掻き分けて、メリロへと瞳を戻すと、 そこには穏やかに漂う波の上に横たわるメリロがいた。
「もう良いだろう、お前もおいで」
そう言って、ロードライトは少年の手を引いた。
そのまま何事もない様に歩く。
リッキーは、波の上はどうしたら良いのかと思ったが、歩を進めるうちにその疑問は解消できた。
自分も波の上を歩くことができている。
メリロの足元まで来ると、ロードライトはリッキーの腕を引っ張って、少年をヘキサグラムの中に入れて手を放した。
リッキーは驚いて目を見開いたが、少年の意に反して海に沈むことはなかった。
どうやらこの中では浮いていられるらしい。
どうして良いのか分からなかったが、リッキーはそのまま歩いて、メリロの顔が良く見えるところまで行ってそこに座り込んだ。
そしてその左手を取る。
「メリロ、戻ってきて」
ロードライトはリッキーの反対側に立ち、そのまま見下ろしている。
祈るように少年がその顔を覗き込んでいると、瞼が小刻みに動くのが見えた。
「メリロ!」
メリロは薄く瞼を開く。
一気に差し込んだ光に一度瞬いて、そして覗き込むリッキーの顔を認識した。
「リッ・・・キー・・・」
「俺が分かる?分かるんだね!」
メリロは首をゆっくりと動かして肯定した。
そのまま緩慢な動きで上体を起こす。
それをみたロードライトはようやく口を開いた。
「伝言だよ、あんたの兄から」
「兄さまから・・・」
「助けてやれなくてすまないと」
その言葉に、メリロは瞳を大きく開いた。
絶叫がこだました。
兄さまーーーーーー!
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