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category翼の刻印編 第1章

1・帰宅

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 フロウは元老院にある法王居室を退出し、足早に廊下を進む。
 半月後の新月の曜日まで、もう幾許の時もない。
 生まれ出でた時より、その肩に背負いし星に流されてきた彼女唯一の弟子にしてやれることを、この十数年ずっと模索してきた。
 それでもまだ、弟子の未来が透視(み)えぬ。
 そのあまりの残酷さに、心が折れてしまいそうだ。
 悪魔に魂を売り渡した己でさえも。
 けれど、もはや後戻りは許されぬ。
 先に進むしかないのであれば―――
「魂が朽ち果てるまで戦ってやる」
 彼女はそう呟いて、手を握り締めた。
 綺麗に手入れされたその爪の一つが割れるほどに。
 元老院の中庭から自宅までを飛び、真っ先に視界に入ったいつもと変わらぬ自室を確認してから、テーブルの上の呼び鈴を振る。
 高く涼やかな音が数度打ち鳴らされたのち、幾時もせずに扉を叩く音がする。
「お呼びでございますか」
 厚い木戸の向こうから聞きなれた声がした。
「入って」
「失礼いたします」
 断りの後現れたのは、フロウよりも年嵩の女だった。
 身なりは黒一色で、襟元と手首に少しだけ見えているブラウスの白が女の冷徹な印象を際立たせている。
「留守中変わったことは」
「特にございません」
「では、お茶の用意をここに。それと、メリィにここに来るよう伝えて」
「かしこまりまして」
 一礼して去ってゆくハウスメイドの後ろ姿を見送る。
 フロウがこの邸宅で過ごして幾年か。少なくとも四半世紀以上の時を経て、女の頭髪は鳶色から真っ白へと変わった。
 その白き髪を、後れ毛一つなくきっちりとまとめているのは昔から変わらない。
 ひたすらに変わらぬ毎日を、変わりなく坦々と勤めてあげて行く。
 だから、留守の方が多いこの家を、安心して任せておける。
 昔、伴侶を求めぬのかと尋ねたとき、眉一つ動かさずにいつもの調子で
「興味がございません」
 と言い放った。
 そんな旧い一項を、ぼんやりと思い出していた。
 追憶を割る硬い音。
 引き戻された現在に、フロウの表情は氷をはらむ。
「お呼びと伺いました」
「お入り」
 木戸を閉めて一礼する弟子を認めて、顎で長椅子を示す。
 この数週間で随分永く伸びた銀髪が、その肩から零れ落ちる。
 指示どおり長椅子に腰掛けた弟子の前に、己も移動する。
 卓を挟んで向かいに一人掛けの椅子が二つある。その近い方の椅子に腰を下ろして口を開いた。
「お前に刑の執行が決まった」
 別段驚いた様子もなく、若き弟子は頷いた。
「人を二人も殺めたのですから、当然です。むしろ今まで執行されなかったのが不思議なくらいです」
「翼骨を封印することになった」
 その一言を聞いて、弟子は少し名残惜しそうな表情をみせる。
「それだけで済んで喜ぶべきなのでしょうね。
けれど・・・いえ、何でもありません」
 先を濁したその先のセリフは、口にされなくてもフロウには分かっていた。
 巡導師達の呪の根源は、翼骨にあるとされる。
 首の付け根から指の一間接分先の左右二箇所にあるそれは、呪の源である気を体内で循環させる大元であり、いかなる者といえども封印されれば呪を使うことが出来なくなる。
 ようやく自力で飛べるようになったのに、もう二度と羽ばたけない。
「それから、刑の執行後は法王様の元へ修行に行け」
「法王様・・・です・・か」
 弟子は驚きを隠せない様子だ。
 無理もない。本来この国の総帥たる法王と、認定すら受けていない巡導師との間には埋めることの出来ない格差がある。
 法王は、弟子の師であるフロウの師ではあるが、三角錐の上層、ニ位以上の者を預かることはあっても、末端のそのまた末端でしかない者を預かる事は異例中の異例と言って良い。
 そもそも現法王は公平さを欠くとして、弟子を取ったり人を預かったりといった事をあまりしたがらない。
 本来なら身に余るべき幸運を、若き弟子はどこに収めて良いのかわからない様子だ。
 複雑な表情を浮かべるその顔に、木戸を叩く音が降る。
 それを聞いたフロウが入室を許可すると、ハウスメイドがお茶のセットを持って入ってきた。
 銀盆に載せられたポットの口から、お茶の芳香が漂う。
「ちょうど良かった、オルソワ。貴方に話しておかなくてはならないことがあるの」
 手にした銀盆を卓に置いてから、オルソワが居住まいを正してフロウに向き合う。
「半月後の新月の曜日、メリィはおそらく意識のない状態で戻ってくる。
 薬を渡しておくから、あとのことは頼みます。
 私はここに戻らずに出なくてはいけないので」
「かしこまりました」
 オルソワはその後二つの銀食器にお茶を注いでそれぞれの前に差し出した後、一礼して部屋を出て行った。
「メリィ、翼骨を封印するのは苦しい。その壮絶な痛みから、意識を失う者がほとんどだ。
だから、体力が回復するまで無理をせずに休め。法王様もその旨は承知しておられる」
「分かりました」
 若き弟子は、『何故』とも、『嫌だ』とも口にはしなかった。
 むしろ、その壮絶な痛みで己を罰して欲しいと願っているのだ。
 この馬鹿弟子は、きっとそう思っているに違いない。
 フロウはメリィを見守り続けてきたからこそ、彼女の心の機微を読むことができる。
 その様子が、フロウを少し苛立たせる。
 だが、それ以上は互いに物言わず、給仕されたお茶を口に運ぶ。
 フロウはうつろに窓枠の先に広がる空に視線を送る。
 結局それを飲み終わるまで、二人は一言も会話することはなかった。



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〔テーマ:自作小説(ファンタジー)ジャンル:小説・文学