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category翼の刻印編 第3章

2・赤毛のチェレッタ

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 翠色の雨が降っている―――否、それはメリィの瞳にそう映っただけに過ぎなかった。
 扉を開けると、そこには青々とした木々の萌え葉が溢れかえっていた。
 葉の隙間から木漏れ日が射し、大地には豊かな牧草が繁っている。
 立ち尽くすほどの色彩の洪水。
 やわらかな大地を踏みしめると、かすかな土の匂いと、木々の緑の匂いが鼻腔を通りぬけていく。
 すんと小さく吸い込めば、身の内が浄化されるような清清しい気持ちになる。
 柔らかな風が吹いて、木々の枝葉や草花をそよがせ、メリイの前掛けやスカートの裾をも翻す。
「きもちいい・・・」
 メリィは思わずその心地良さに、手を広げて大気を吸い込んだ。
 振り返ってその姿を眺めながら、老婆は微笑を浮かべる。
 吹き抜けていった風が銀糸をさらって、小さな額があらわになった。
 ニノの目には小柄で痩せっぽちのメリィは、そうしていると17才という年齢よりも幼く映る。
 うんと食べさせてやらなくては、とニノは思いながら歩を進めた。
 メリィはそのすぐ後について行きながら、瞳に飛び込んでくる珍しい景色を観察する。
 畑には見たこともない穀物や野菜が培われている。
 柵で囲われた広い土地には、毛足の長い家畜が放し飼いになっている。
 あちらこちらに木が生い茂り、実がなっているものまである。
 大地には草の絨毯が広がっている。
 それらは全て、祖国セルジアンゼルでは目にすることの出来ない風景だった。
 メリィは草花の青くさい香りが、こんなにも心地良いものだと初めて知った。
 訳もなく明るい気分になる。
 やがて小高い丘に差し掛かるころ、はじめて人に出くわした。
「ああ、チェレッタ」
「あら、ニノおばあちゃん。こんにちは」
 老女のふくよかな体の後ろから、顔だけ出して覗き込む。
 そこには、燃えるような赤毛の少女が立っていた。
 勝気そうな瞳も朱に近い茶色。
「遠縁の子を預かることになったから、仲良くしてやっておくれ」
 さあと促されてニノの隣に出る。
「あたしはチェレッタ。よろしくね」
 快活な笑顔を浮かべながら差し出された手を握り返して驚いた。
 それを気取られまいと思いながら口を開く。
「メリィです。よろしくお願いします」
 その様子を見たとたん、不意にチェレッタが笑む。
「アンタ、今気を使っただろ?そんな事しなくて良いよ」
 何事もない様に言うチェレッタに驚いて、メリィはばつが悪そうに微笑んだ。
 中身の入っていない袖が、だらりと垂れている―――彼女には左腕がなかったのだ。
「ごめんなさい」
「気にしないでって。それより、また遊ぼうね」
 彼女はそう言い残して、丘を駆け下りて行った。
 ニノはその後ろ姿を見送りながら、口を開く。
「あの子は確かメリィと同い年だったかね。良い子だよ、チェレッタは」
 ふっくらと頬を緩めるニノに、はいと頷いた。
 思い出したようにまた歩き出したニノを感じながら、メリィは少しだけ残念な気持ちがして丘の下に視線を送る。
 段々と小さくなって行くチェレッタの後ろ姿がそこにあった。


 チェレッタとの出会いから丁度十日が過ぎた。
 あの日長老宅を訪問がてら、村を巡ってあちこちで挨拶を繰り返した。
 小さな村だから、メリィの存在はあっと言う間に知れ渡った。
 物珍しそうにされたのは最初のうちだけで、気さくで親切な村人達とは今ではすっかり馴染んでいる。
 その中でも特に仲良くなったのは、やはりあのチェレッタだった。
 こんなに早く村人達に打ち解けることができたのも、きっと彼女のおかげだ。
 午後、チェレッタは家畜の世話を終えるとわざわざ迎えにきてくれて、あちこちに連れ出してくれるのだ。
 やれだれそれさんところのチーズ作りの手伝いに行こうだの、家畜の毛刈りに行こうだのと言って連れて行かれるから、否応なしに馴染んでしまった。
 最初は戸惑ったが、やることなすこと目新しいことばかりで、そのうちにチェレッタについて行くことが楽しくなった。
 メリィはここ数日、授業が終わって帰ってくると、チェレッタと一緒に過ごしている。
 この日も野苺摘みに出かける約束をしていた。
「ニノさん、手提げ籠を貸してもらえませんか」
「あら、今度はどこに行くんだい?」
「今日は野苺摘みに行くんです」
 そう言って満面の笑みを浮かべる少女を、ニノは安堵の思いで見つめた。
 レザンの言葉に最初はどうなる事かと思っていたが、どうやらそれは取り越し苦労だったようだ。
 確かに引っ込み思案な部分もあるが、同い年のチェレッタとは気が合うようで、出かけて行ってはあれこれと楽しかった出来事を夕飯の席で聞かせてくれる。
 ニノは戸棚の下段から手提げ籠を取り出した。
「そうかい、だったらたんと摘んできておくれ。蜜漬けを作ろう」
「はい」
 ニノの言葉にうれしそうに返事をして、差し出された籠を受け取る。
「うんとお腹を空かせておいで、美味しい夕飯を作って待っているよ」
 玄関口で見送ってくれるニノに向かって口を開く。
「行ってきます」
 歩き出すメリィの後ろ姿に、行ってらっしゃいとニノの声がかかる。
 少し振り向いて、笑んで手を振った。
 家の前から伸びた、ここ数日ですっかり歩きなれた道を、チェレッタとの待ち合わせ場所へ向かって足早に進む。
 少し歩いたところで、放牧地の柵の中から壮年の男の声が掛かる。
 藁で編んだ帽子をかぶって、汗を拭き拭き家畜の世話に勤しんでいる。
「メリィちゃん、今日もチェレッタと一緒かい?」
 ここ何日もチェレッタと一緒にいるものだから、皆にチェレッタとメリィは二人で1組だと思われているのかもしれない。
 その証拠に、村人達から赤白姉妹などというあだ名を頂戴している事を知っている。
「こんにちは、ジェイクさん。そうなの、今日は野苺摘み」
「ああ、もうそんな時期だな。いっぱい採れるといいな」
「はい」
 豪快な笑顔を満面に浮かべながら見送ってくれるジェイクに小さく頭を下げて、メリィはまた歩き出した。
 いつも誰かしらが、ジェイクのように気さくに声をかけてくれる。
 もう村の生活には慣れたか、道に迷っていないか、何か困っていないかなど、新参者のメリィを気遣ってくれる。
 それは他の村人同士でも同じ事で、まるで村全体が家族のように、皆が助け合い穏やかな生活を営んでいる。
 人が生活するのだから多少の諍いもあるのかも知れないが、メリィの目には、人々は至極仲睦まじく見えた。
 数年前までメリィが暮らしていた村でも、ひょっとすれば己以外にはそうだったのかも知れない、と思い至って少し寂しくなった。
「皆が本当の私を知ったら、どうなるんだろう」
 思わず口をついて出たその言葉に、メリィの肌は粟立った。
 立ち止まって、両手で己を掻き抱く。
 怖い。たまらなく恐ろしい。
 そこに、聞きなれた声がかかる。
「どうしたの、メリィ。大丈夫?顔真っ青だよ」
「チェレッタ・・・」
 驚いてとっさに顔をあげると、そこには心配そうに覗き込んでくるチェレッタの顔があった。
「大丈夫、ちょっと考え事をしてただけ」
「本当?体調悪いなら無理しなくていいんだよ?」
「本当に、大丈夫だから」
 恐怖感の残滓を振り払うように、メリィはにこりと微笑んだ。
「なら良いんだけど」
 不審な表情を浮かべながらも、チェレッタは納得してくれた。
 行こうかと言って友人が歩き出したのを確認すると、ようやくここが待ち合わせの丘の数歩手前だったということに気がつく。
 チェレッタの隣に並んで歩きながら、もう考えまいとメリィは思った。
 村の外れの牧草地へ向かって二人は歩く。
 柔らかな日差しが、チェレッタの赤毛に反射してきらめく。
 少し癖のある燃えるようなこの赤毛が、とても綺麗だとメリィは思う。
「どうかした?何かついてる?」
 知らぬうちに随分と覗き込んでしまっていたようだ。
 かち合った瞳もまた。
「チェレッタの赤って綺麗だなーって。髪も、瞳(め)も」
 メリィの誉め言葉に、チェレッタは目を丸くする。
「メリィって変わってる。メリィの方が綺麗じゃない」
 半笑いになりながら、チェレッタはメリィに言い放つ。
 それを聞いたメリィの目も、先ほどの友と同じように丸くなった。
 互いに一瞬見つめ合って、示し合わせたように笑い出す。
 少女独特の軽やかな笑い声が、柔らかな日差しの中で残響する。
 ひとしきり二人で笑いあって、またどちらからともなく歩き出した。
「なんだか不思議」
 歩き出すと同時に、メリィの口から零れた一言。
「何が?」
「だって、知り合ってまだ少ししか経ってないのに、まるで昔からずっと友達みたいな感じがするもの」
 実年齢よりも幼く見える童顔の友人の横顔を見ながら、頬を緩める。
 その肩に流れ落ちる銀髪を、自分の方こそ綺麗だと思うのだ。
「私も、そう思ってた」
 その返事に、童顔が振り向いて満面に笑顔が咲く。
 少女は幸せそうに頷いた。

 村の外れにある牧草地には、野苺が鈴なりに実っていた。
 嬉々としてそれらを無心で摘みとって、籠の中を紅で一杯にする。
 大量の収穫に満足して、籠の中を覗き込む。
 甘い芳香に、我慢できずに手を伸ばす。
 口の中に放り込めば、甘酸っぱい味が広がった。
 メリィは、その美味しさに、ついついつまみ食いをしてしまう。
 口に入れては幸せそうに頬をきゅっと寄せるメリィを見つめて、チェレッタは目を細める。
「そう言えば、あたしメリィのことって何にも聞いてなかった。レザンじいちゃんに勉強を教えてもらってるって、やっぱりメリィは巡導師なの?」
「少し前までは見習いだったんだけど、さすがにもう資格は剥奪されちゃっただろうなぁ・・・」
「え、どうして?」
「もう、呪が使えなくなっちゃったから」
 チェレッタの問いに答えながら、翳り始めた陽をぼんやりと見つめる。
「そうなの」
 チェレッタも、メリィと同じように夕日を眺める。
 夕暮れ時の冷たい風が、緑の絨毯を吹き抜けてゆく。
「私も聞いて良い?」
「うん」
「その腕は生まれつき?」
 予期せぬ問いに、チェレッタはメリィの横顔を振り返った。
 その相貌は、逆光の中に溶け込んで曖昧になる。
「嫌な気分にさせたならごめん」
 心底申し訳なさそうに呟く友人に、チェレッタは苦笑した。
 もういい加減慣れっこで、そんな事は気にしないのに。
「生まれつきよ。それに、メリィに謝られると、そっちの方が嫌な気分」
「ごめん」
 とっさにまた謝ってしまったメリィは、はっと目を開いて口元に手をやる。
 いつも謝ってばかりの友人には、どうしたものかとチェレッタは思う。
 多少のことはお互い様だし、故意に発言していることでないならそんなに気にする事はないのに、何故だかメリィはちょっとしたことですぐに謝る。
 良く言えば繊細だが、悪く言えば他人行儀な気がする。そこが少しだけ、後味がわるい。
「チェレッタは、こんな風に産まれてこなければって思ったことはないの?」
 チェレッタはと言ったその【は】の部分が妙に引っかかる。
「そうね、うんと小さい頃はそういう風に考えた事もあったけど。でも、そんな風に考えたって何かが変わる訳じゃないし。多少は不自由だったりするけど、それでも楽しく生きてるし。どうせ一度っきりの人生だもの、どうすることも出来ない事を嘆くより、どうにかできる事を探す方がずっと楽しいのじゃないかって、思うようになった」
 達観した様子で言い放つチェレッタの声が、メリィの心に染み落ちる。
 なんと、強い心なのだろう。
「チェレッタはすごいな」
 泣きそうな表情を浮かべながらそう呟いたメリィを、複雑な思いで見つめる。
「さっきからどうしたの?チェレッタはって。その゛は″は何なのよ。メリィも私と同じように不自由なとこがあるの?」
 チェレッタは、少しやきもきしながらまくし立てる。
 
―――私だってこんなだもの、何を言われたって驚かない

「ごめんなさい。今はまだ言えない。でも・・・いつか、チェレッタにはきっと話すから」
 俯いて辛そうに言葉を紡ぐメリィを見つめて、チェレッタは息をついた。
 昔からの親友のように感じていたとしても、実質メリィと知り合ってまだ十日だ。
 少し焦りすぎた、とチェレッタは反省する。
 時が経てば自然とメリィの口から話してくれるだろう―――そう思ってそれまで気長に待つとしよう。
「わかった、話してくれるの待ってる。約束ね」
 チェレッタは朗らかに笑いながら、明るい口調で返事を返した。
 それに安堵したように微笑んだメリィは、朱茶の瞳に今にも消えてしまいそうに儚げに映った。



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