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category翼の刻印編 第3章

3・因果

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 その日は珍しく朝から雨が降っていた。
 天からの恵みは大地を潤して、生命の連鎖に大いなる力を与えてくれる。
 メリィは雨の日が好きだった。
 晴れの日が嫌いなのではない。
 雨が降ると兄の仕事が早く終わるから、ただそれだけで好きだったのにすぎない。
 だが、その兄も、もはやこの世にはいない。
 兄の命も、連鎖されてまたどこかで巡っているのだろうか―――などと考えて、可笑しくなって少し笑った。
 チェレッタの言葉通り、人の人生は一度きりだ。命尽きれば、それまで。
 朽ちた命が何かの糧になったとしても、それはこの世の予定調和というものだ。
 己がどんなに綺麗に着色しようとも、真実は深い漆黒なのに違いない。
「目をそらしちゃだめ」
 メリィは自分に言い聞かせるように、そう呟いた。
 ニノが与えてくれた部屋の窓から、降りつづける雨をひとしきり眺めたあと、いつものように衣装戸棚の扉を開いた。
 もう見慣れた、混沌とした闇。そこに足を踏み入れる。
 出口を確認して扉を閉め、慣れた足取りで階下へと進む。
 そこに至る螺旋階段の中ほどで、ふと、燦々と降り注ぐ光に違和感を覚えた。
「こっちは晴れててもおかしくないのよね」
 あちらが雨でも、こちらまでそうとは限らないということを思い出した。
 レザンの故郷だから、首都マデヴィスではないのは当たり前なのだが、どうやら法国ですらないらしい。
 それに思い至ったのは、つい最近の事だ。
 考えてみればごく簡単なことで、あのように緑溢れる大地が存在することがこの国ではまずあり得ない。それに、レザンが【王】と呼称されないのもあり得ない事だった。
 自分がどこにいるかなどという事は、メリィにとってさして重要なことではない。
 むしろ、この国の王たるレザンが自国の出自者でないという事の方がメリィには驚きだった。たとえ数年でしかないにせよ、この国の内政のあり方をうっすらと肌で感じ取ってきただけに、そこに違和感を覚えるのだ。
 血統至上主義のようなものが確かに存在しているように感じるのに。
 図書室を抜けて、奥のサロンへと足を踏み入れた。
「先生、こんにちは」
「おお、メリィ。今日も時間通りじゃな。たまには遅刻しても良いのじゃぞ?
 わしもたまには灸を据えてみたいもんじゃわい」
 そう言って、かかかと笑う。
 たとえ遅刻してきたとしても、レザンはきっと怒るまい。
 冗談めかしてそんな事を言っているのだ。
「今度ニノさんと゛うっかり″しゃべりすぎてしまう事にします」
 そう言って、いつもレザンがするように片目を瞑って見せた。
 レザンは満足そうにうむうむと頷く。
 二人はそのまま、定位置についた。
 今日はどんな授業になるのだろうかと、席に着いたメリィの期待は膨らむ。
 レザンの授業は少し独特で、紙とペンを使って内容を書き留めたりすることは一切しなくて良かった。
 講義内容はこの世の成り立ちや、伝記、地方宗教の客観性、他国の戦乱史などで、それらも学問の一種であるのだろうが、メリィには想定外の内容であった。
 異なる二つの物質を混ぜ合わせたら、こんな効果のある薬が出来上がるだとか、こういう呪を唱えたらこういう事が起こるだとか、そんな講義があるのだとばかり思っていたのに。
 しかし、小難しい計算や理論構築が不必要な分、メリィには受け入れやすく、また興味深くもあった。
 そして、最後に自分がその内容についてどのように感じるかを問われる事が多い。もちろん、確実で模範的な答えである必要はない。
 メリィの返答をレザンは肯定も否定もせず、興味深そうに黙って聴いて授業は終わる。
 ただそれだけの小一時間だが、自分の考えをきちんときいてもらえる事が、メリィにとっては何よりも嬉しかった。
 だから、レザンの授業は楽しい。
「今日は、呪について話そうかの」
 やんわりと話し始めたレザンの言葉に、メリィは居住まいを正す。
「我らロードが使う力を゛呪(じゅ)″というが、これの意味は呪い(まじない)であるな。では、呪いとはどんなことであるかの」
「豊穣を願って太陽神サンドラの方角にパンをささげたり・・・とか?」
「ふむ、それも呪いの一種であるの。人の生活に根ざした呪いは、それ自体に因果が成立せぬものが多いがの。ロードのそれは、因果を成立させて事象を発動させることなのじゃ」
 水源に事欠くことのない地方の農耕民は晴天を欲する。また、これが砂漠などの水源に事欠く地方なら、雨天を欲する。どちらも、豊穣を願って行う他愛もない呪いだ。
 パンを捧げたり、雨乞いの舞を踊ったりしようとも、降らないときは降らないし、降る時は降るものだ。だが、そういったものこそが人の文化に深く根付いているものなのだ。
 メリィの母を贄に捧げたウェナ族のように。
「例えば、薪に火を着けようとする。じゃが、手元に灯火石(とうかせき)がない。呪が扱えぬ者は何か別の方法を考えねばならぬな。では、ロードならばどうするか」
 レザンの言葉に、メリィはかつての門番の呪を思い出していた。
「呪を使います。ええと、確か・・・カントと」
「カントとは古代語で゛火よ来たれり″と言うておるのじゃな。呪の因果は1+1=2と同じ。この場合初めの1は薪。後の1はカント。解は火の着いた薪というところかの」
 レザンは丸卓の中央に置いてあったペンと紙を手元に引きよせ、それを使って何やら書き込む。
 出来上がったそれは、メリィもよく見知っている星―――ペンタグラムだった。
「火を着けるぐらいなら簡単なのじゃが、ロードは生業として高度なものを要求される。因果の方式はより複雑になる。ペンタグラムはの、この世の全物質の因果を内包しておるのじゃな。五つの角にはそれぞれ、木、火、水、土、金の理(ことわり)が収められ、隣り合うものが互いに干渉しあって中央の正五角形の゛無″を形成しておるのじゃ。そのあらかじめ用意された因果に、古代語を干渉させると、それに見合った事象が発動する」
「呪を一部省略する、ということですね」
「さよう。導きだされる解は一つじゃが、そこに至る道筋が間違いでなければ良いのじゃな。5という解があるとして、それは2+3でも、10-5でも構わぬわけじゃ」
 師はそこで言葉を区切り、しばらく黙り込む。
 口元に手をやり、髭を撫でつけるような仕草をみせる。それは、何かを考え込む時に見せる、レザンの癖だった。
 メリィはその事を分かっているから、沈黙が続いても、あえてレザンに問い掛けることはしない。
 髭を弄んでいた皺だらけの手が止まる。
「じゃが、いくら確かな方式を創っても、このように紙にペンで書いただけでは呪は発動せぬ。ロードの体内には呪気が巡っておるが、言うなればそれを触媒にするのじゃな。
大気に拡散しておる五大元素を呼ぶわけじゃ」
「ああ、なるほど。そういう原理で発動していたわけですね」
 メリィはたくさんある疑問のうちの一つが解消され、清清しい気持ちになった。
 何せロードライトときたら、ロードとして知っているべき事柄を、ほとんど教えてくれなかったのだ。
 本だけは山ほどあったから自分で色々と勉強していたが、それにはやはり限度がある。
 レザンの授業は、確実に実りを与えてくれる。それがまた、楽しい。
「わしはの、メリィ、人の一生も同じであると思うのじゃ。目に見える形で残ることはなくとも、自分がどう歩んだかによって現在を形成するのじゃと思う。今はまだ考えられぬやも知れぬが、将来こうありたいと思う時がきたら、その時からその為の努力を惜しんではならぬ」
「はい、先生」
「人は生まれながらに平等ではない・・・立場上、言うてはならぬことじゃが。じゃが、与えられしものをそれも含めて己であると認めて、そこからどうありたいか、どうあるべきかと考える事が人生を豊かにするとわしは信じておる」
 メリィを見つめてレザンは穏やかに笑む。
「実り多き人生は、己が手でつかむものじゃ。今のお前さんなら、きっとこの意味がわかるであろ?」
 レザンの言葉は、以前の自分なら理解できなかっただろう。
 だが今は、痛い程によく分かる。
 もっと早くに、分かっていたら良かった言葉。
 メリィは、翁の薄茶色の瞳を真っ直ぐに見つめて頷いた。
 それを見たレザンもまた、満足そうに頷いた。

「今日はちと早う終わってしまったの。何か質問はないかの?」
 そう言われたら、確かにいつもより早いかも知れない。
 せっかくの機会だから、何か聞いてみたい。
 メリィは思案をめぐらせる。

―――そうだ、さっきの・・・

「レザン先生は、この国の出自者じゃないですよね?」
「ああ、確かにスピング村はこの国の村ではないの」
「スピング村?!先生の直轄地なのですか」
 メリィの返答に師は目を丸くしたかと思うと、大きな声をあげて笑う。
「わしゃそんなに偉くないわい。名乗るほどの姓を持っておらざったでな、スピング村のレザンという意味でそう名乗っておるだけじゃ。わしゃ農民の小倅じゃで」
 その答えに、メリィの疑問はさらに深くなる。
「よく、推挙されましたね」
「自国出自者でないと王になれぬという法はないの。実際、ロードには割と多いのじゃぞ?
 フロウもシェリーも出自はこの国ではないしの。じゃが、二人とも立派に冠位を得た」
「え?」
「シェリーはバラッサ海峡で手広く商船会社を経営しとる豪商の三男じゃし、フロウは・・・孤児じゃし。わしがうっかり喋ったことは、フロウにはナイショじゃぞ?」
 今さらり、と、とんでもないことを口にしなかったか。
 シェルビーのことはともかく―――
「ロードライトが孤児・・・?」
「戦災孤児というやつだの。ゲニヘム帝国ではな、黒髪黒眼は魔物の血が混じっておると信じられておってな。国の施設に入れてもらうことができなんだ」
 中央に位置する最大の大陸の北西にある、軍事国家ゲニヘム帝国。
 白い肌に金髪碧眼を持つ民族の暮らす地。
 丁度アリィを施設に預けた直後、隣国との戦争で大量の死傷者がでた戦地ゲニヘムに飛べと指令が下った。
 壊滅した街の外地で、親の亡骸の側から離れようとしない幼女を見つけた。
 フロウは当然、その容姿のせいで誰からも助けてもらうことが出来ずにいたのだろう。おかげで、その時は命を落とす寸前まで衰弱していた。
 見るに見かねて法国に連れ帰ったが、あのときの衝撃は今でも忘れられない。
 方や、神の御子と尊ばれながら贄として捨てられたアリィ。方や、魔の忌子と蔑まれながら親を亡くしたフロウ。対照的な二人の子供を同時期に拾った。そこに、奇妙な運命を感じずにはいられない。
「フロウも、そういう過去を乗り越えて今があるのじゃな。だからこそあやつは、お前さんの苦しみが痛いほど良く分かろうよ」
 そう言って微笑を浮かべるレザンを、信じられない思いで見つめる。
 ならば何故、ロードライトはあのように冷たいのだろう。
 否、答えはわかっている。やはり、自分の弱さが嫌いなのだろう。二人も殺したのだから、それも当たり前か。
「あやつも不器用じゃからの・・・」
 そう独り言つレザンの言葉の意味をはかりかねて、横顔を見つめる。
 メリィはどんなに考えても、その答えは見つからなかった。
 ロードライトの瞳の色は真紅だが、レザンは黒だと言った。
 メリィはその訳も聞きたかったが、また何かを考え込んでいる様子のレザンに切り出すことができずにあきらめた。
 己とて片目が緑になったのだから、きっとそれと似たような理由があるのだろう。
「話は変わるがの、明日の授業は休みじゃ。ちと外せぬ用があっての。手持ち無沙汰なら本をいくつか持って行くがよい」
 法王居室にある全ての本は、レザンに言わなくても勝手に持ち出して良いと以前から言われていた。
 その言葉に甘えて、すでに何度か本を持ち出している。
「分かりました。では今日はこれで失礼致します」
 そう述べて、メリィは席を立って頭を下げた。
 いつも通り穏やかな眼差しで見送ってくれる師に背を向けて、サロンを退出した。
 そのまま図書室で本を物色する。
 今日は雨だから、チェレッタとも遊べない。
 雨の日は、前日に約束をしていても中止にするという事を二人で前もって決めてある。
 なにせ、遊ぶのはいつも屋外だから。
 夕方までの手持ち無沙汰を解消するには、本を読むのが一番手っ取り早い。熱中しすぎて夜中まで読みふけってしまうのが少々難だが。
 入り口から本棚にへばり付くようにゆっくりと移動する。
 すでに何度か見ているから、気になる本は見つからなかった。
 そうして物色しながら、今まであまりじっくり見ていなかった本棚で足を止める。
 視界に飛び込んできた【古代語全集】に手を伸ばす。
「この際、じっくり勉強してみようかな・・・」
 どうせ読むなら伝記や古代史の方が面白いのだが、少々聞きかじっただけの古代語では理解できなかった本もこれまでに数冊あった。
 今後呪を使うことがなくても、何かの役には立つだろう。
 メリィは少々分厚いそれを引き抜く。
 そこには小さな闇が取り残された。



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