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category翼の刻印編 第4章

1・闇のしじま

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 闇い水の中に居た。
 自分の周囲だけがほんのりと明るくて、それ以外の場所は見渡すことが出来ない。
 それに恐怖を覚えて、膝頭までしかない闇い水を覗いてみる。
 けれども、やはり水底にも何も見えはしなかった。
 怖くて怖くてたまらない。
 ただ立ち尽くす事にも怖くなって、ゆっくりと歩き出す。
 動かしている両足に添って、水が盛り上がっては流れてゆく。
 それなのに、水を掻き分ける音がしなかった。
 耳に痛いほどの静寂が、闇い空間を満たしていた。
 進んでも進んでも、眼に映る色は変わらない。
 いつしか歩くことに虚しさを覚えて、立ち止まった。
 どうすれば、ここから抜け出す事が出来るのだろう。
 自分はどうして、こんな所に居るのだろう。
 そして―――自分は一体何者だろう。
 それすらも、思い出すことが出来ない。
 その事が、自分を更に不安にさせる。己の立つその場所が、砂上の楼閣のように崩れてしまいそうで。
 不意に、笑い声が残響する。

 ハハハハハ キャハハハハ アハハハハ

「誰かいるの?どうして笑っているの?」
―――オ前ガ面白イカラサ
「何故?」
―――オ前ノ罪ハ忘レルクライニ軽イノカイ?
「私の、罪・・・?」
―――オ前ハソノ醜イ憎悪デ人ヲ殺シタ
「人を殺した・・・」
―――オ前ノ殺シタ者達ヲ思イ出セ!!

 轟、と吹きつけた風が己の顔面を叱咤する。
 そして、世界は反転する。
 闇い水は色を無くし、足元には灼熱の炎が揺らいでいた。
 息苦しい、と思って見上げると、そこにはよく見知った女の顔。
 憎悪の笑顔を浮かべながら、力一杯己の首を締めている。
 
 苦しい。苦しい。くるしい。許して、母様。

「ぐ・・・ぅ」
 首を締められる苦しさに、意識が遠のく。

―――アンタナンカ私ノ娘ジャナイ。コノ恨ミ、忘レテナドヤルモノカ

 母様、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


「はぁッ・・・」
 勢い良く、寝台の上で半身を起こす。
 荒い呼吸を繰り返しながら、動悸が収まるのを待つ。
 早鐘のように打たれる心拍が、胸元に当てた両手に大きく伝わる。それがゆっくりと静まって行くのを感じて両手を下ろした。
 夜着は、汗でぐっしょりと濡れている。
 メリィは一息ついて、寝台の近くの小窓に眼を向けた。
 降り続いていた雨が止んで、薄明かりが射していた。
 時折、こうして悪い夢をみる。
 今日のように鮮明に覚えている夢もあれば、そうでない場合もある。
 けれど、そうでない時でも、きっと良くない夢を見ているのだと判っている。
 毎回、うなされて目が覚めて、脂汗をかいている事が多かった。
 鮮やかに思い出される夢の内容は、いつも決まって母の怨念だった。
 繰り返される憎悪に満ちた声―――許さない、と。
 もちろん、許される筈もない。母は、死して尚安らかに眠れないのだ。だから、神の世から夢を渡ってこちら側へくる。恨みを晴らす為に。
「忘れたりなどしません、母様」
 俯いて、呟いた。
 眠らなければと思って夜具を引き寄せるが、眼が冴えてもう一度眠れそうにない。小さな息を漏らして、眠りに就くことをあきらめた。
 寝台をおりて、書き物机の上に置かれた蝋燭に火をつける。そしてそのまま、椅子に腰かけた。
 机の上に置いていた【古代語全集】を開く。
 レザンとの゛授業″から戻って、夕方までそれを眺めてはみたものの、調べる対象がないのであまり有益とはいえない。
 やはりこういうものは、わからない言葉を照らし合わせる為に使うものなのだ。
 とはいえ、図書室から持ち出している本は今の所この一冊だけだから、それをあきらめれば眠くなるまですることがない。
 何もしないよりはまし、と栞を挟んでいた項を開いた。
 文字の羅列を流すように追いながら、斜め読みしていく。
 さして興味を引く単語もなく、次へと紙を捲った所で、ある一語に目が止まった。
「あ・・・」
 シェル―――海。
 メリィの脳裏に、派手なオカマの顔が浮かんだ。
 もしや、と思って項を繰る。
 あちらこちらを捲ってようやく見つけた残りの言葉は、生物の章に記載されていた。
 ビー―――男。
 直訳して、海の男。
 オネエ言葉のシェルビーを想像しながら、たまらずメリィは噴き出した。
「名前にこだわるわけよね」
 そう言えば、生家は商船会社を経営しているとレザンが言っていたから、それにちなんで名付けられたのに違いない。
゛シェリー″と呼べと自ら言うくらいなのだから、こちらも何か意味がありそうだ。
 メリィは面白くなって、また項を繰った。
 イー―――色。
「海の色か・・・納得。らしい感じ」
 秘密の暗号を解読したような気持ちになって、気を良くしてあれこれと調べてみる。
 フロウ―――小さな光。灯火。蛍火。
 クロス―――清い。聖。
 イト―――祝福
「聖なる祝福・・・か」
 また、手を動かす。
 メリ―――2。2番目。
 なんと安直なのだろうか。兄との歴然の差に、もはや笑うしかない。
 生まれた時から、自分にはあまり興味がなかったのだとはっきり判って、かえってあきらめもつくのかもしれない。己は望まれて生まれた子ではなかったのだ、と。
 少女は深いため息をつく。
 広げた本から視線を外し、また窓の外を眺める。
「火の力とか、それ以前の問題なんだ」
 肩を落としながら独り言ちる。
 火の力―――オルドラン。17年間己の中に巣食った火の化身。
 だが、その正体が何であるのかは知らない。否、知ろうともしなかった。
 何か判るかもしれない、と本に手を伸ばす。
 まず、一つ。
 
 オル―――呪い子。災いの子。
 
 瞳を見開く。
 何かに突き動かされるように項を捲る。
 次いで、二つ目。
 
 ドラン―――竜。

「竜の呪い子・・・?」




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〔テーマ:自作小説(ファンタジー)ジャンル:小説・文学