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category翼の刻印編 第5章

2・サバス

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 客が多くなる昼食時、女は導線の取れた店内を歩きながら、無表情で仕事に勤しんでいる。
 彼女の仕事は、この食堂の給仕をする事。程よく客の入った店内は、それなりに忙しい。
 食事の終わった客席の器を下げたり、注文を聞いたり、料理を運んだりとやることは多い。
 誰も居なくなった席の卓上を片付けて、布巾で丁寧に拭いている最中だった。
 能面のような顔の女のこめかみが、ぴくりと動く。
「主(ぬし)さま・・・」
 ぽつり、と呟いて、そのまま布巾を手放して駆け出した。
 体の重さを感じさせない足取りで、人の行き交う店内を器用にすり抜けて行く。
 仕事を途中で放り出して、店の裏側へと消えて行く。だが、それを目撃した他の給仕の誰もが、咎める事をしなかった。
 カウンター越しに客の勘定に応じている店主らしき男ですら、それをちらと見ただけでやはり何も言わなかった。
 駆けて行く背中を見送った店主は誰に向けるでもなく小さく吐き出す。
「ヤツめ、やっと来やがったか」
 わき目も振らずにやってきたその場所は、店の中庭だった。とは言っても、店舗件住居の構造上そのように天を仰ぐ空間が開けているだけで、実質は空になった酒樽や古い水甕が建物の壁際に無造作に並べてあるだけの場所に過ぎない。
 むき出しの地面の上にはペンタグラムが描かれている。それが、蒼く発光していた。
 光る星の中に小さく拡散している画像が集まるようにして、そこに男が現れた。
 俯いたその表は青白く、傍目からも確認できるほど肩は大きく上下している。呼吸が荒い。
 女はそれを確認すると、すぐに近寄って崩れ落ちそうな身体を支えた。
「主さま・・・」
 長身の男の顔を見上げるように覗き込んで、空色の瞳を見つめる。
「ごめんね、イリ・・デュー・・・精気分けてもらう・・わよ」
 そのまま、女の身体をかき抱いて唇を重ねる。
 口付けのそのひと時に、女の頭からはほろほろと白い花が零れて行く。
 彼女には、人で言うなれば頭にあたる部分に緑の細い蔦がそれこそ毛髪のように伸びている。そこに、小さな白い花がたくさん咲いていたが、それが全て、みるみるうちに萎んで大地めがけて落下していった。
 蔦の先端の部分までもが黄色く変色し始めたところで、ようやく唇が離れる。
 顔を上げた男の顔色は、すっかり良くなっていた。
「ありがと」
 ささやきながら表情の乏しい顔を見下ろして、愛しそうに微笑んだあと、その額に軽く唇を押し当てた。
 彼のその行動に、うっすらと笑みを刷く。だが、それはきっと他の者には分からない程の微笑。
 到着時とは打って変わってしっかりとした足取りで、男は女を連れ立って食堂の店内へと向かった。
 店主の居るカウンター越しの席に二人で座る。
「ラウはもう終わったぜ」
 獣人の店主は、彼に向かってぶっきらぼうに言う。カウンター越しに覗くその顔は、猫科の動物を思わせる。こちらも、表情は乏しい。
゛ラウ″とは食堂があるこの地域で獲れる白身の川魚だ。産卵の為に川を遡って戻ってくる。その産卵直前のものが、脂がのっていて美味なのだ。
 そう言えば、銀髪の少女からの礼状にそんな事が書いてあったか。
「それは残念。でも、あいにくゆっくりしている暇がなくてね。
 ・・・カルーサ、マフア頂戴」
「浮かねぇ顔してるじゃねぇか、珍しい。どうかしたのか」
 カルーサは背後の棚から緑色の瓶を取り、中身をグラスに注ぐ。
 底が丸みを帯びた形のそれに、透明の液体を半分ほど入れ、檸檬を絞って差し出した。
 受け取ったそれを骨ばった細長い指でつかんで、呷る。
 体に流れて行く酒精が、内側の柔らかい部分を焼く。
「今回は、イリデュセスを連れて行くわ」
 中身の少なくなったグラスをゆっくり回しながら、ちら、と隣に座った当人に視線を送る。そのイリデュセスはと言うと、相変わらずの様子で座ったまま身じろぎもしない。
「おーお、そりゃまた珍しい。一大事じゃねぇか」
「ま、ね。だから、また実りなおしたときは、一からよろしく」
 ああ、と弱ったように零しながら、店主は毛むくじゃらの手で額を覆った。
「しょうがねぇなぁ、もう。だからお前と付き合うのは大変なんだ、シェルビー」
 残りを一気に呷って、カウンターに叩きつけるようにそれを置く。
「シェリーだって言ってんでしょ!」
 きつい口調で言った後、カルーサの金色の瞳を見据えてニヤ、と笑った。
 それを見た彼はわざとらしく大きなため息を零し、諸手を上げて首を振った。
「わかったよ、シェリー殿」
 観念したように、呟いた。


 翁は、コポコポと気泡が流れて行くその丸い球体をじっと見つめる。
 水で出来た大きな玉の中には、身体を畳んだ少女が浮かんでいる。
 故郷スピング村から、それごと連れてきたのだ。
 レザンは、丁度彼女が空に羽ばたいてゆく瞬間に村に到着した。
 ニノの小さな家の前から、光の筋を引いて浮かび行くその姿を目撃した。
 どう対処してよいものかと逡巡しながら歩き出した矢先、少女の体から放たれた光が森を飲み込んで爆発した事に驚きを隠せなかった。
 それも、呪術で発動させるものとは根源が異なる性質のものだっただけに。
 娘から放たれたものは神々しいほどに白かった。
 放牧地に倒れていたその体を見て、火傷を負っている事は一目で分かった。戦地で、何人もの重傷者を見ていたから。
 無残にも、背中の封印ごと焼き切れていた。
 これだけの傷を負って、よく生きていたものだと思う。
 緊急措置として身体を冷ますために水球に浸からせたが、それですらすぐにぬるくなる。また、細菌の侵食と細胞の壊死を防ぐ為に手を尽くしてはいるものの、予断ならぬ状態だ。
 定期的に冷却と呼吸の為の呪を送り込んでやるが、この細い体が保つ(もつ)のだろうか。
「お前さんは、痛く苦しいことばかりじゃの・・・メリィ」
 疲れたような表情を浮かべながら、球体の中で眠る少女に呟く。
 何気なく送った視線の先の窓から見える空は、メリィの右側の瞳と同じ色をしていた。夜明けが近い。
 その彩に見入っていると、部屋の扉を叩く音がする。
 若干声を張って入室の許可を述べる。
 だが、広すぎる客室の中央から。外側まで届くだろうかと心配するも、扉はあっさりと開かれる。
 そこから歩いて来るのは、メリィのもう一人の師―――フロウだ。
「ごくろうじゃった」
 レザンの言葉に、フロウは無言で頷いた。
 一国の王たる者が訪問先を無断で長時間空ける事が許されるはずもなく、致し方なく弟子に森の治癒を依頼した。
 フロウは件の陣の弱体化の為、部下二人と王都に逗留していた。不穏な空気も相まって、事後処理を任せられるのは彼女しか居なかったのだ。
 翌朝には帰国予定だった彼女を捕まえることが出来たのは、幸運だったのか、それとも不運だったのか。
「生態系を乱さぬ程度に施しておきました。生息地を移し始めていた動物も数日で戻るでしょう。樹木の方は流石に無理でしたが」
「いや、構わぬよ。わしでもそうしたと思うでな」
 出来の良い愛弟子は、己がするべき事をよくわきまえている。
 あえて何も指示しなかったが、理想的な処置を施してくれた。その事に、レザンの頬が少しだけ緩む。
「先生、ご報告が」
 その懐かしい響きに、緩やかな郷愁が胸に去来する。
 だが、それに浸っている時ではない。
 見返した真紅の瞳が、老爺の薄茶色の瞳を捉える。
「どうやら、良い報告ではなさそうじゃの」
「陣を解析して分かったことがあります。巧妙に構築された因果に、ちょっとした癖が」
「クセ・・・のう」
「言語構成学の手本のように整然と・・・」
 それを聞いたレザンは、渋面を作って唸った。
 あご髭を利き手で弄ぶ。
「やはり、間違いなく自国者です」
 召還紋と言えど、因果さえ成立させる事ができればきちんと発動する。すなわち、巡導師でなくとも、呪術の心得のある者であれば形成する事は可能なのだ。
 セルジアンゼルは呪術を生業としている為、呪力を持つものを積極的に養成している。
 ロード養成所に入学した者は、一様に言語構成学の授業を受ける。それが、呪術を形成する際の基礎だからだ。
 学習用の手本書があり、それには理想的な型としての形成法が記載されている。
 よく言えば分かりやすく一般的だが、悪く言えば応用が利かない。
 本来呪術なぞ、詠唱破棄を筆頭に普遍的なものだ。だが、養成所を卒業したものはその癖が抜けない者が多い。否、それが一般的だと思っているから、癖だとすら分からない。
 他国の呪術者ならば、そんな紋切り型の因果は形成しない。
 自ら、セルジアンゼル法国の者ですよ、と記しているようなものだ。
「わずかな可能性を期待したが、やはり身中の虫であったか・・・」
 レザンは、諦めたようにため息をついた。
「これで、あの男で確定・・・という事になるかと」
 女もまた、渋面を作って呟いた。
 フロウのその言葉に、翁は黙って頷くしかなかった。


 夜中にレザンに呼び出されてから、朝まで動いていたから、昼までゆっくり休息をとりたいのは山々だったが、生憎と多忙でそれは叶わない。
 夜明けを待たず、フロウは自宅へと戻って来ていた。
 自国者の造反が確定した今、やるべき事は気が遠くなるほど多い。
 王という立場のレザンよりも、まだしがらみの軽い己の方が動かなくてはならない事柄があり、またもや師の言葉に甘えてメリィを預けてきてしまった。
 さすがに疲労の色を刷いた顔つきで、フロウは自室の机の引き出しを開けた。
 てのひらに載る程の大きさの楕円形の箱を取り出して、その蓋を取る。
 中には、鈍色をした星の形のペンダントと、紅い石の嵌った指輪が入っていた。
 箱の中身を凝視して、口を開いた。
「安息日など来なくていい・・・罪深き私には」



 ※サバス(Sabbath)=ユダヤ教またはキリスト教で言うところの安息日・日曜日。(yahoo!辞書より出典)


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〔テーマ:自作小説(ファンタジー)ジャンル:小説・文学