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category第1章

3・千尋の谷(後半・2)

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 兄様、旅立チノ日ニハ、必ズ持ッテ行ッテネ・・・
 力ガ強イ方・・・コレハ兄様
 コッチハ私・・・必ズヨ・・・

 顔のない妹が覗き込む。その、瞳の色しか思い出せない。
 寝台の上で半身を起こし、窓の外を眺める。
 もう、外は白んできていた。
 明るむまで今しばらく眠る事も可能だが、再び床につく気にはなれなかった。
 メリロはそのまま寝台を出る。
 立ち上がると予想していた通り、筋肉がこわばってひどく痛んだ。
 体に残るけだるさをこらえながら、メリロは昨日造りあげた低い塔の中から、ほの白く光る石を取り出す。
 呼応石の片割れだった。残りは妹の元にある。
 封印はすでに解き放たれ、ただ一点に向かって光を放っている。
 それを両手で隠すように包み込み、額をのせる。
 瞳を閉じれば、放たれた思いが通り過ぎてゆく。
 なぜ、助けてやれなかったのか。
 その想いが己を苛んでいる。
 過去も現在も未来も永遠に、それはずっと連鎖していくように思えた。
 未来の現在が過去になり、過去の現在から始まるこれからが未来であるように。
 顔をあげて、握り締めた両手の力を緩める。
 手の隙間から光が溢れている。
 妹が泣いている―――そう、メリロは思った。
 助けてやりたいのに。
 だが今は、虚しくもそれは叶わない―――

 扉をたたく音がして、子供特有の甲高い声が己を呼ぶ。
「メリロ、起きてる?」
 身支度を整え、ちょうど階下に降りるかどうかを逡巡していた所だ。
「ああ、起きてる」
「おはよう!」
 扉をあけて、ひょっこり顔を出す。
「おなか空いてる?」
「いや、空いていない」
 昨晩寝る前に食事をしたせいか、空腹を感じなかった。
「じゃあ、下にきてくれる? 父ちゃんがお茶でもいっしょにって」
 うれしそうに片目を瞑って合図してくる。
「メリロの事、気に入ったんだよ父ちゃん」
「そう? だと良いんだが」
 まってるよ、とだけ残して階段をかけおりて行く音が聞こえた。
 すぐに階下へ行くと、階段を降りきったところでリッキーを見つける。
 出かけるのか、ちょうど扉に手をかけたところだった。
「出かけるの?」
「うん、ちょっと町外れまで」
 不服そうに頷いて、扉を開く。
 そのまま振り向いて、
「俺が帰るまで行かないよね?」
 不安そうにたずねる。
「恩人に挨拶なしに去ったりはしないさ」
 笑いながら見えている方の目を瞑って合図した。
 ひょっとしたら不自然な感じになったろうか、と一瞬思う。
 だが、それを見て安心したのか、少年は外へと駆け出していった。
 別れを惜しんでくれるほど仲良くなれたのだと思うと、自然と笑みがこぼれる。
 その表情のまま、扉が閉まるまでの一瞬を見送る。
「あれの兄は一年ほど前に出て行きましてね。すっかりあなたに懐いてしまったようだ」
 エルンストは笑ってそう言いながら、メリロの前まで歩いてくる。
「あなたにとっちゃ迷惑でしょうが」
 苦笑いを浮かべて、そう続けた。
「悪い気はしません。それに、彼は私の恩人だ」
 一瞬で真顔になった彼は頷くでもなくそれを聞き流し、こちらへ、とメリロを促す。
 どうぞ、と長椅子を示されたので、黙ってそれに腰掛けた。
 だが、この家の主はというと、炊事場の方へ行ってしまう。
 手持無沙汰にしばらく待っていると、エルンストは金物のコップを二つ持って戻ってきた。
 その片方をメリロに手渡す。
「ありがとうございます」
 受け取ったそれを覗き込む。
 甘い芳香が漂っている。
 檸檬の蜜漬けと、乾燥花に湯を注いだもので、この地方でよく飲まれているものだ。
 徐々に蕾が開きかけている。
 花が完全に開ききれば、それも目で見て楽しむ事ができる。
 口をつければ、ほのかな酸味と甘み、いい香りが口の中に広がった。 
「メリロさん、私はあの子の親です。ですから、隠し事はなしにしましょう」
 唐突に、エルンストはそう切り出す。
「隠し事とは・・・?」
 前に座ったエルンストを見つめる。
「あれは未熟です。人助けができるほど一人前ではない」
 昨日の表情とは一転して、彼の表情は硬い。
「呼応石を使う事もしなかった。あの子の親として、あなたに謝りたい」
 そして、深深と頭を下げる。
「おっしゃることの意味が・・・」
「命を守ることが、ガイドの義務だ。砂漠を渡る事が義務なのではない」
 彼は頭を下げたまま、先を続ける。
「あんな時間に帰ってきた。それこそが、致命的な失敗だ」
「でもそれは、私が足を引っ張ったから・・・」
 おもてを上げる。表情はやはり硬い。
「あなたがいたのなら、尚更帰ってくるべきではなかった。
 金を受け取ったのでしょう・・・?」
 エルンストの視線が、矢のようにメリロの瞳を射る。
 見透かされている。隠しおおせることなど無理だ。
「私が支払うと言ったのです」
 懸命にリッキーを弁護する。今の自分にはそれしかできない。
「どんな状況であれ、人命を優先しなくては意味がないのです。
 ガイドを請け負うと言うことは、その人の命を預かるという事と同じ意味だからです」
 返す言葉が思い浮かばない。
 どんな言葉を返しても、所詮は言い訳にしか過ぎないような気がした。
 また、巻き込んでしまった。
 リッキーには関係がないのに。
 己の責任だ。己の甘さが。
「あれがアストラウスを一人で渡れるようになってからは、迷った事がないのです」
「ええ、リッキーの知識はたいしたものです」
 メリロの言葉を鼻で笑う。
「何がたいしたものか」
 エルンストはため息を零す。
 瞼を閉じてうつむき加減に話し出す。
「あれは意地になって帰ろうとしたでしょう。矜持など・・・金と人命を天秤にかけるなど、言語道断だ」
「しかし、金を受け取ったのだって・・・」
 言いかけたメリロの言葉を手で制す。
 そして、瞼を開く。
「あれが母親の病を憂えていたのは、紛れもない事実です。
 しかし、救える命があるように、救えない命もある」
 苦虫を噛み潰したような顔をして、吐き出すように続ける。
「母の命を憂うより、あなたの命の心配をしなくてはいけなかったのです。 ・・・金を受け取るとはそういう事です」
 子供が理解するにはあまりにも難しい。
 メリロには、それ自体が酷なことのように思われた。
「金さえもらわなければ、人助けだという大儀名文もできたろうに、自らそれをなくしてしまった」
「しかし・・・」
 それでも、やはりリッキーのせいだとは思えない。
「これは親である私の責任です」
「いや、私に責任がある」
 本当に自分の責任だと思う。
 ガイドという職業の意味を、砂漠という大きな自然を、甘く見ていたのだ。
「わたしは息子に罰を与えなくてはならない」
「そんな・・・」
 メリロは大きく目を見開く。
 思わず机に手を乱暴に載せる。
 そこに置いたカップの中身がゆれている。
「あなたを責める気などない。これはケジメなのです」
 本当に、とさらに念を押され、渋々口を噤む。
 そして、エルンストは静かに先を続けた。
「それでも、もしあなたが自分に責任があると言うのなら、息子を連れて行ってやってくれないか」
 予想外の言葉に、一瞬耳を疑う。
「あれはまだ十二だ。どこも弟子に取ってもらえるところがない」
「しかし、十五になれば・・・」
 エルンストは自嘲気味に笑う。
「お若いのに、私たちのしきたりをよくご存知のようだ。
 しかし、もう時間がないのです・・・私も妻と同じ病をわずらっているので」
 メリロの心がざわざわと騒ぐ。
 あの天真爛漫な子供の絶望が・・・未来が透えるような気がした。
 暗闇、絶望―――自分と同じ匂い。
「リッキーはそのことを・・・?」
「あれはまだ知りません」
 メリロは胸をなでおろす。
「この機会を逃せば、もう息子になにもしてやる事ができない」
 滔々と少年の父は先の言葉を繋いで行く。
 自分は迷うことなくここまで来たが、年をとって初めて疑問を抱いた。
 何の疑問も持たず、ただ親と同じ生業で生きてきたが、そのせいでほかの世界の事は何一つわからない。
 砂に活かされている。
 それが果たして良いことなのかわからない。
 おのれの父も同じ病で亡くなった。そしてまた己も、愛すべき妻も。
 おそらくは子供たちも。
 砂に殺される。
 悲痛な面持ちで、彼はそう語った。
「確かにリッキーは私になついてくれていますが・・・」
「もちろんただでとは言いませんよ。二千バルクお渡しします」
「金のことを言っている訳では・・・」
「私のライネルも差し上げましょう」
「しかし!」
 たまらずに叫ぶ。
 責任ならいくらでもとるつもりだ。
 しかし、リッキーのことを考えるといたたまれない。
「金が尽きるまで面倒見てやってくれたら良いんです。
 いや、そうでなくてもいい。
 連れるのに困ったら、その場で別れてもいい。
 それでもライネルを返してくれとはいいません」
「私が信用できる人間だという保証は・・・?
 金とライネルを持ったまま、リッキーをどこかに捨てて行くかも知れませんよ」
「保証はあなたのその称号です。それを信じて」
 エルンストはメリロの小刀の鞘に描かれているものを言っているのだ。
「メリ=ロード=ラトバルク」
 ―――それがあなたの本当の名では。
「どうしてそれを・・・」
「私だって無駄にガイドを長くやっているわけじゃない。
 見たらわかりますよ。あなたが巡導師だと言う事くらいはね」
 やはり、すべて見透かされている。
 額から下方へと向かって流れゆくものがあった。
 メリロは、新たな運命が動き出す予感がしていた。



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 修正済

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