FC2ブログ
category翼の刻印編 第5章

5・潭獄

trackback--  comment--
 シェルビーは法王居室を退室し、庭園までの廊下をひた走る。
 一足飛びに呪を使って外に出たい所だが、常日頃からここには厚い結界が施されているのでそれは叶わない。
 唯一法王のみが、それに干渉する事ができる。何故なら、この建物の主(あるじ)が法王であるからだ。
 器(うつわ)に精を籠め、それと血の契約を結ぶ事によって、レザンはこの国の王となった。古来より、歴代の王位継承者へと受け継がれてきた決め事。
 玉座も王冠も錫杖もない。それが、この国の王位継承のあり方だ。
 薄暗く長い廊下を抜けると、そこにはすでにフロウの姿があった。
「じじい共はどうだった?」
 二十年来の親友を認めて声を掛ける。
 木戸を開いて出てきた彼を見上げて、紅を注した唇が動く。
「中で禁呪を組むって言ってたわ。間に合わないと思うけど」
 淡々と紡ぐ彼女に苦笑した。
「毒をもって毒を制す・・・か。ま、老い先短いじじいでも命は惜しいわよね。18年前みたいに当たりくじが自分だったら嫌だものねぇ」
 二人揃って顔を見合わせ、にや、と皮肉に笑いあう。
 元老院のお歴々からの援護射撃は完全に皆無だが、それならそれでいっそ動きやすい事だろう。
 元々、じじい共に期待などしてもいないが。
「じゃ、行きましょうか」
 友の声に、頷いたフロウの黒髪が揺れた。
 彼はそのまま庭園の中央に視線を向ける。そこに揺らぐ、白い色彩。
「おいで、イリデュー」
 シェルビーが名を呼ばうと、その彩が凝縮して人型を取った。
 食堂で給仕をしている時のような衣服などは着ていない。
 浮遊しながら彼の側近くまでやって来て纏わり付く。
 愛しげに彼女を見つめる親友に、フロウは穏やかな眼差しを向ける。
 誰かを愛するのに、性別など瑣末な事に過ぎないと言い切る彼の言葉通り、彼女は女ではない。否、そればかりか人間ですらない。
 彼女の真性はシャトヤンシーという群生蔓草の化身であり、植物の本質で言うなれば雌花という事になる。
 己の主義をこうして体現している所が、彼らしいとフロウは思う。
 真紅の視線は、柔らかな光を放つ者へと流れる。
 その姿を間近に見たのはこれが二回目。友がこの化身と契約を交わしてかれこれ己との付き合いの長さと同じ位になるであろうから、その割合で言えば驚くほど少ない。
 イリデュセスはいつも、見るものに感情が無いのかと思わせる程無表情だが、今日は相変わらずのその様子に違和感がない。平常の外見はより人のそれに近く、今回は明らかに人外の姿によるところが大きいのかもしれない。
 遠い昔の青春の日に愛する者を見つけたと、心から幸せそうに語った若い彼の笑顔がよみがえる。
 そんな友の恋人――人ではないがあえてこう述べる――を、この戦いに巻き込むのはいささか気が引ける。
 だが、それを決めたのはシェルビー自身だ。
 きっと彼は、覚悟しているのだろう。万一生きて戻れぬなら、果てる時は一緒だと。
 自嘲気味に薄く笑いながら、空を見上げた。
 瞳に映るは、禍々しき異質。
 その空間へと至る為に、手にした杖を振るった。
 派手に飾り付けられた杖の先から無数の光が放たれて、大気に溶け込んで行く。
 そして、フロウは空へと向かって一歩を踏み出した。
 歩むごとにその肢体は浮かび上がってゆく。まるで眼には映らぬ階段を踏むかのように。
 向かい側から吹き降ろされる風が、白いローブの裾を少しだけ揺らして通り過ぎていった。黒髪は軽やかに舞う。
 シェルビーも彼女を追う形でその後に続く。
 折角の晴れ渡る空なのに、それを暗く染める雲が一つ。次元を歪める陣の紅き光の上に鎮座している。
 見下ろす眼下には、人々の小さな営み。浜辺から着彩された見渡す限りの蒼。
 その光景を楽しむようにゆったりと足を動かしながらしばらく進んだところで、ようやく不穏分子の姿を捉えた。
 魔獣の背に騎乗した、今にも果てそうな様子の男。すでに健全だった頃の面影は失われていた。
 度重なる召還のせいで呪力を使い果たし、精気すらも尽きかけている。
 こけた頬。顔色は青白い。健康的だった躯体は病的なまでに細くなっている。
 唯一今までと変わらないのは、落ち窪んだ眼(まなこ)の奥の漆黒の影。
「やはりお前か、サヴァキス」
 女の声に、虚ろな視線は緩慢に流れる。
 ひた、と視線が彼女の相貌を捉えると、瞳孔が開かれて色がよみがえった。
 両の目をいっぱいに見開いて、狂気すら感じさせる笑みを刷いた。
「ははは、これはこれはロードライト殿。この不肖オンドワールの為にこのような所までご足労下さり、誠に恐縮でございます」
 この体の何処に、といぶかしむ程の大音量。
「自ら愚かと分かっていながら何故こんなことをする」
 フロウの言葉を受けて、サヴァキスはびっくりしたような表情になる。
 背を仰け反らせ、はしゃぐようにきゃらきゃらと笑う。
 それも束の間の事、ぴたり、と静かになって、男の闇い視線が魔女を射る。
「生憎、俺の闇は説明できるほど浅くはないのでね。貴様に話す気もないが」
「まぁ、それもそうだな。私も立場上問わねばならんので聞いてみただけだ」
 気にするな、と空いた方の手をひらひらと振った。
 互いに人の悪い笑みを浮かべながら、睨みあう。
「それで、アンタはどうしたいのよサヴァキス」
 フロウの背後で、二人の様子を無感動な表情で傍観していたシェルビーが気だるそうに口を開いた。
「おやおや、そこに居られたのはロードモリオーン殿でございましたか」
 気付いていただろうに、今しがた知ったかの様な大袈裟な言葉が身振り手振り付きで返される。
「アンタね、慇懃無礼も大概になさいよ」
 呆れたように言ったシェルビーの言葉に、男は悪びれる様子も無い。
「どうしたいか・・・それも愚問だな。こんなものを呼んだのだ、目的は一つしかなかろうが」
 男は魔獣の背を軽く撫でながら、先を紡ぐ。
「本当に、つくづく貴様らは厄介だよ。俺の最高傑作だったのに、因果を解す(ほぐす)とは・・・お陰でこんな小物だ」
 とんとんと軽く叩かれた異質は、確かにフロウが18年前に眼にしたものと比べてかなり小さかった。
 大人しくされるがままになっている小型の竜の体色は茶交じりの濃緑。
 体表を硬そうな鱗が覆っている。
 見開かれた瞳は真紅―――彼の日の漆黒の竜と同じだ。
 たたまれた翼は翼手目のように、骨格を覆う膜状の皮膚で形成されている。
 外殻が変質した硬い槍状の長い尾が、威嚇するように巡導師二人に向けられていた。
 その魔獣の名は―――
「リンドブルム・・・か」
 呟いて、魔獣と同じ色の瞳を細めながら気色ばむ。
「どうしてそれだけの才能を真っ当に活かせないのかしらね」
 サヴァキスを見据えて呟いたシェルビーを、面白そうに見返しながら口を開く。
「決まっている。貴様ら二人がフローレスだからだ!」
 吐き捨てるように叫んだのと同時に、竜のあぎとが大きく開かれた。
「来る!」
 瞬時にして高位ロード二人は後方へと飛び退る。
 そのまま共に手にした杖が軌跡を引く。
 魔女の手中にある様々な石が色づいて、その各々がいくつもの紋を形成してゆく。詠唱破棄による複数同時形成。
 眼を見張るほどの速さで、それが前方を埋め尽くして行く。
 導師の方はといえば、同じく詠唱を破棄して防護壁を形成していた。
 共に来たイリデュセスは、その体を霧状に拡散させて二人の周囲を包み込む。
 放たれた火炎が容赦なく浴びせられる。
 熱波がフロウの紋を粉砕する。
 一層、また一層と消え落ちてさえ尚、その勢いは留まる事を知らなかった。
 最後の一層を貫いた火炎が、シェルビーの防護壁に掛かる。
 ぐにゃり、と融けるようにしてそれさえも崩され、竜の口から伸びた赤き舌は二人を嘗め尽くす。

―――ヒァアアアア

 人ならざるものの音域の、悲鳴のような鳴き声がこだまする。
 炎が消えたあと、霧散していた気が一箇所に集まって形を作った。
 それは、崩れ落ちたイリデュセスの半透明の肢体だった。
 髪のような蔓は焦げてなくなり、手先も足先も焼け落ちていた。
 体表にも、枯れたような皺。
 その無残な人型の後方に、二つの影。
 衝撃は喰らったが、かろうじて難を逃れたシェルビーは、哀れな姿になった愛しの恋人を見やった。 眉間に皺を寄せる。
 視線を、左方へと流して眼を見開く。
「フロウ!!」
 叫んで、倒れこんだ親友のもとへ駆け寄る。
 うつ伏せの彼女を抱き起こして表を覗くと、苦しそうに呻いた。
 かふ、と吐き出された鮮血。
 生きている、と胸を撫で下ろしたところで頭上から楽しそうな声が降る。
「フローレスといえどもこの程度か」
 とっさに宙を見上げた。
「法王を呼んでもらおうか、ロードモリオーン殿。貴様らでは相手にならん」
 騎上の男の台詞に、歯噛みする。
 霊峰の陣の中に古代語の竜の一語を見つけた時から、覚悟はしていた。
 だが、己とて冠位者としての自負はある。叶わないまでも、善戦することくらいは出来るのではないかと思っていた。
 しかし、こうも明らかな差を見せ付けられては、一矢報いてやる方法が思い浮かばない。目前の男が小物と称したリンドブルムでさえこの始末。
 もちろん、戦意を喪失している訳ではないのだが、力に差がありすぎる。
 フロウ、イリデュセス双方の姿を再び確認して覚悟を決めた。
『ミ ロワイヨ イリデュセス ファオ』
 呪の詠唱と共にイリデュセスは白い光へと姿を変え、螺旋を描きながらシェルビーの身体に吸収される。
 彼はフロウを抱きかかえて立ち上がった。
「法王に伝えろ。オンドワールがお待ちしている、と」
 シェルビーは未だ臨戦態勢のままの魔獣に背を向けたまま口を開いた。
「ええ、一言一句たがわずに」
 ぎり、と唇をかみ締めて身を翻した。
『オン ロード』



※潭獄<たんごく>(著者造語。潭・容易に抜け出られない苦しい境遇。苦境。 + 獄・檻。牢など人を閉じ込めて置く場所。またはもの。 の混成語)


 前へ次へ

〔テーマ:自作小説(ファンタジー)ジャンル:小説・文学