FC2ブログ
categoryスポンサー広告

スポンサーサイト

trackback--  comment--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
category翼の刻印編 第6章

3・オセロ(後編)

trackback--  comment--
 踊るような小走りで去って行く恋人のふわふわと揺れる銀髪を見送って、溜息を一つ。
 彼女には、子供のような無邪気さと、女性独特の濃縮されたしたたかさが同居している。
 長年、目の敵のようにしてきたフロウから己を奪っただけでは、彼女の渇いた心は満たされなかったようだ。
 結婚しようと誓い合ったフロウという恋人がありながら、それでも彼女を裏切ってまでアレクシスを選んだ自分でさえ信じていない事など分かっている。
 しかし、怒りよりも、ただ、哀しみの方が深い。そんな風にしか生きられぬ彼女が、あまりに痛ましくて。
 受け取ったハンカチを見つめながら、椅子に腰を掛ける。知らず出た今日幾度目かの溜息をつきながら、ぼんやりと壁掛け時計を見上げた。
 もう少しで正午を指そうとしている針を確認して立ち上がった。
 今から追いかければまだ間に合う。昼食にでも誘って、あの事を話しておかなければ。
 カシアスは手にしたそれを机に置いて、銀髪の残り香を追った。


 就業中ということもあって、人通りは少ない。空(す)いている廊下を早足で行きながら、アレクシスは言い訳を考える。
 何せ、今度移動してきた上役の女ときたら、薬草箱の隅をつつくような性格なのだ。
 ロードになるだけの才もなかったような頭が良いだけの女で、おまけにいい年をして独身だから、若い同性が気に食わないのだ。その証拠に、自分や同僚の女性にきつくあたる事が多かった。
 上手い言い訳はないものかと思案しているうちに、気がつけば中庭に出ていた。
 そのまま出口の方へと数歩進んだところで、見知った後ろ姿を二つ見つけた。
 木陰の長椅子に腰かけて話し込んでいるのは、紛れもなくフロウとシェルビーだ。
 吐き気がするほどに憎悪しているその女を、見間違える事などありはしない。
 シェルビーに至っては、憎悪とまではいかないが、折角誘ってやった自分をぞんざいに扱ったのだから、彼もまたフロウと同罪だ。
 知らぬ振りをして通り過ぎれば良いと思ってさらに少し歩いたところで、信じられない言葉が耳に飛び込んでくる。
「アンタはそれで良いかもしれないけどね、産まれてくる子には何て説明するつもり?
 自分だけの問題だと思っちゃダメ。とにかく、もっとよく考えなさい。わかったわね」
 諭すように言い置いて、去ってゆく男の後ろ姿を、呆然と眼で追う。
 胸の鼓動が早くなった。縛りつけられたように、その場から動くことが出来ない。
 勝った、と思っていた。それなのに。
 これがカシアスに知れる事となれば、結局彼はまたフロウの元に戻っていってしまう。
 そんな事は嫌だ。絶対に、嫌だ。
 不意に、フロウが立ち上がった。そのまま何かを探すように、頭が左右に動く。そして、左手の方に向って駆けて行く。
 それに引き寄せられるように、縛りつけられた足が解けてゆく。
 音も立てずに近づいて、階段の上で一瞬立ち止まった彼女の背を押した。
 視界の中に広がったのは、宙を舞う漆黒。羽ばたく白い肌。それらは全て、刹那のこと。けれど、アレクシスには永遠とも取れる時間だった。
 奇麗な鳥が水面に落下して、溺れる苦しさにもがいているような光景だった。
 それを茫然と見つめていたその時、予期せぬ事が起きる。空を泳ぐその手が、胸元に垂れていたペンダントを引きちぎって行く。
 高い所から落ちてゆく憎き女の重みに、呆気なくそれは攫われた。
 投げ出されたフロウが、両手を広げて垂直に落ちてゆくのを目で追って、怖くなる。
 逃げなければ、と思い至った己の耳に、どさり、と鈍い落下音が届く。とっさに数歩後ずさった。身を翻したそこに、今までに見たことのない表情を浮かべた男が立っていた。
「君は今、何をした!何故そこまでする必要がある」
 嫌悪と怒りを満面に刷いた、カシアスだった。
「あの女が今までに私にしてきた事を思えば、これくらい小さな事だわ」
 俯きがちに、述べる。握り締めたてのひらに、嫌な汗が噴き出すのを感じた。
「たとえどんなことがあろうとも、君のやったことは許されることじゃない!」
 怒気荒く吐き捨てる彼の顔を見ることはおろか、前を向く事すら出来ない。
「それに、フロウはむやみに誰かを傷つける人じゃない。君が今までに僕に言ってきた事は、全部嘘だ。そんな事は、最初から判っていたさ」
 彼のその言葉に、己の矜持が熱を帯びるのを感じた。それが、激烈な怒りに変化するのに、時間はさして掛からなかった。
 俯いた顔を毅然と上げ、彼の瞳を見据えて口を開く。
「哀れんでいたと言うの、この私を。馬鹿な女だと、私を見てせせら笑っていたんでしょう!私だって知っていたわ、あなたの心が私に無いって事ぐらい。あなたは偽善者よ!!」
 知らぬうちに、頬を濡らしていた涙。
「僕の心が欲しかったのなら、何故もっときちんと向き合わなかったんだ。いつだって君は、僕の外側しか見ていなかったじゃないか。誰かを愛するって事は、そんなに簡単な事なのか?少なくとも僕には、そんなに手軽なものだとは思えない。僕は、君を愛そうと思った。たとえそれが、互いに偽った気持ちからだったとしても。長い年月をかけて、育んで行けば良いと思っていた。でも、それすら、君を変えることは出来なかったんだね」
 涙が一筋流れるたびに、幾年もかけて重ねてきた硬い殻を叩く。
 カシアスの言葉の一つ一つが、砕けた殻となって零れ落ちて行く。
 何故もっと早く、彼の想いを知ろうとしなかったのだろう。
 それは、いかにも彼らしい偽善だった。それを偽善と知りながら、真に愛する女を裏切ってまで、己を愛そうと思った彼。その愚かさが、せつない。
 けれど、今更気付いたとて、遅すぎた。
「僕は、来月サルーバセタへ行く。十年は帰ってこれない。君と一緒に行こうと思っていた・・・でも、一人で行くよ」
 哀しい表情を浮かべながら、ひっそりと笑う。
 そして、右手の中指に嵌めた指輪を外して差し出した。
「売れば少しは金になる。これで、新しいハンカチを買うといい」
 何も言えず立ち尽くすアレクシスの手に、強引に握らせて去って行く。
 ぼんやりと見つめ続けたその背中は、射影の中にある廊下へと消えるまでに、ついに一度も振り返らなかった。
「う・・・・ぅ」
 千切られて行くような痛みが、臓腑を駆け巡っている。
 口元を手で押さえながら、泣き崩れた。嗚咽するその声を、漏らさぬように。
 涙で滲む視界に、手渡された指輪はあまりにも紅く。彼の、むき出しの心だ、と思った。
 無常にも、正午の鐘は鳴り響く。


 身を燃やし尽くすかと思わんばかりの憎悪が、己を闇の深淵へと誘う。
 似たような境遇を持つ女。分かり合えれば良かったが、ついには一度も話し合えぬまま、親の敵のように憎まれる毎日。
 産まれながらに背負った星を、違えることなど出来はしない。産まれる場所も、器も、星も、選ぶことはできない。自らの物として在るのは、この肉体だけだ。
 だからこそ、自分ができる事を精一杯頑張ってきた。いろいろな人の手助けがあったからこそ、今の自分がある。恩義ある人たちへ、せめて恥じる事のない自分でありたいと。
 何故、ここまで憎まれるのかわからない。
 ありもしない醜聞を流され、陰口をたたかれ、心から愛した人でさえ奪われ、袈裟懸けに太刀を浴びせられたような痛みさえをも耐えてきたというのに。
 それなのに、愛し子まで奪ってゆく。そんな理不尽な権利が彼女にあってなるものか。
「許さない・・・」
 自室にたどり着いたフロウは、痛む下腹部を庇いながら、濁った眼差しで指輪を見つめる。
 ローブの内側から短刀を取り出し、鞘を引き抜いてそれを無造作に捨てる。
 手にした刃には、星を内包した二枚の翼。その星の中に、双架杖の紋が刻印されていた。
 日差し射す部屋の中でさえ、その刃の紋章は青白く光る。
 空いた手で長い黒髪を無造作にまとめて掴む。青い光が、フロウの首元に一筋の線を引く。惜しげもなく髪を切り捨て、次いでその鈍き煌めきが白い肌に紅を生む。
 深く切り裂いた細い手首から、鮮やかな血が溢れ出た。それを捨て置いた黒絹の上に滴らせ、傷ついた方の手の親指からむき出しの心を引き抜く。
 握りしめて呪を込める。
『エ ソレクト スワラスト モレク アリグディナ』
 一瞬、眩い光が石の中から弾ける。そして、石の紅はとろりと融解して粘りつくように広がってゆく。 それは毛髪と鮮血を飲み込んで、いつしか星を描き出した。
 焼けつくように刻まれたヘキサグラム。その中心には“モレク”の一語が浮かび上がっている。
 形成された陣が広がる色彩を取り込んで、渦を巻きながら何かを形取って行く。
 そこに姿を現したのは、牛頭をもつ男の形(なり)をした者。不吉な気を放ちながら、雄牛は笑う。
『我に何を望む』
 その声は、悪寒を走らせるほどに冷たい。
 ごくり、と唾液を飲み込む。
「アレクシスに、私と同じ苦しみを」
『供物は・・・毛髪、血液・・・胎児か。だがその胎児、精気が尽きかかっている。対価としてはいささか不足』
 異形の持つ白目のない深紅の瞳が、ぎょろり、と虚空をなでる。
『お前、面白い物を持っている。竜の血なぞ、人間の分際では身に余ろう。足らずを補って余りある。それを我に捧げよ』
 もとより、処分に困って持て余していた代物。手放すことに、何の躊躇いもない。
 雄牛の言葉に頷いて、ローブの内側からそれを掴んで差し出した。
 その手から球体が浮かび上がり、霧状に拡散して異形の体に取り込まれてゆく。
『胎児と竜の血を錬成して呪い(のろい)とする。
 オル・ドランの名を以て(もちて)、血の盟約とせし。お前に契約の証しを』
 雄牛―――モレクの名を持つかの地の者は、異質なる顔を歪めて狂ったように笑う。
 人と違って表情が乏しくとも、禍々しき気と大気の震えが、異形が笑っているのだと感じさせる。
 己が呼び出したのだと分かっていてさえなお、背筋に蠢くおぞましさを抑える事はできなかった。
 モレクは人の片腕を掲げ、フロウに向かってその手を大きく広げる。それに、昏い(くらい)色が吸い込まれてゆく。
 フロウは己の身体から、あらゆる幸福が吸い取られていくような感覚に陥る。だがそれは、紛う事なき真実に違いなかった。何故なら、闇に魂を売り渡したのだから。
 唐突に終わりを告げたその感覚に、力が抜ける。そのまま、へたりこむように崩れる。
 澱のような眼で見つめた闇は盟約の儀を終えて、次元を切り裂き消滅した。
 それを確かに見送って、ぼんやりと色のない表情を浮かべながら腹に手をやる。
 ぽっかりと抜け落ちた魂を感じて、口元を震わせた。
「ふ・・・はは・・はははははは」
 壊れたように笑い続ける彼女の瞳には、何も写ってはいなかった。


 一瞬、アレクシスのオーラが視えたような気がするが、それに構っている場合ではない。
 本質的には繊細な友人。男性社会を渡ってゆくために、精一杯虚勢を張って生きている。カシアスは、そんな彼女にとって唯一身も心も安らげる相手だったに違いない。しかし、そんな唯一無二の存在を失い、良き理解者だった養父フォスターはすでになく、師であるレザンは即位後の仕事に忙殺されている。
 庇うようにして抱え込んでいた下腹部の光の薄さが気がかりだった。もしこの状態で流産するようなことがあれば、正気を保っていられるのかどうか。
 フロウのオーラを追う為に、杖を取り出して神経を集中させる。
 いつもの彼女なら、見事なまでの詠唱破棄で飛んだ痕跡さえ残さずに行ってしまう所だが、そんな事を気にする余裕もなかったのだろう。色彩の残り香がまだ漂っていた。
 捉えた気を己の呪力に練りこんで、手にしたそれで星を描く。
『カ アショネイト オン ロード ソレクティト フロウ』
 杖を振り下ろして大気を駈けた。
 あと一歩、という所で何かに邪魔されて弾け飛ぶ。
 堅牢な守りを感じ取って、仕方なくそこに着地する。
 大地に足をついた感覚に眼を開き、辺りを確認すると、そこはバルデアス家の前だった。常に強固な結界を布いているだけの事はある。
 帰宅していたのだ、と分かってとりあえず胸をなでおろす。しかし、嫌な予感は拭い去ることができないままだ。
 意を決して、門の呼び鈴を鳴らした。
 程なくして、この家の一切を取り仕切るハウスメイド―――オルソワが姿を現した。
 彼女の顔を確認して、頭を下げた。
「ウィック様・・・どうかなさいましたか?」
 オルソワが尋ねるのも無理はない。本来、事前に連絡をしておくのが礼儀というものだから。特に、地位が高く、大きな邸宅に住まう者なら尚更のこと。
 だが、そんな余裕はこちらにもない。
「フロウ、帰ってるはずなんです。あの子・・・放っておくとまずいかもしれません。
 中に入れて頂いてよろしいですか?」
 彼のただならぬ様子を感じ取ったのか、オルソワは何も聞かずに頷いた。そして、門扉を開いて通してくれた。
 彼女にまた頭を下げて、走り出した。
 他人の家だが、それを気にしていられない。一刻の猶予もない気がした。何事もなければ後で詫びればいい。だが、フロウにもしもの事があったら、悔やんでも悔やみきれない。
 彼女のオーラの糸を必死に手繰り寄せながら、色の濃くなる方へと進んでゆく。
 螺旋階段を一気に駆け上がって、扉を三つ行き過ぎたところで、異変に気付く。
 大きく肩で息をしながら、四番目の扉の前に立った。
 追ってきた色彩が、いつの間にか色を変えている。扉の隙間から、染み出すようにして漏れているその色は、血のような紅だった。
 いやな予感に苦い表情を浮かべながら、取っ手を引く。
 そこには、今にも首に刃を突き立てんとするフロウの姿があった。
 思わず息を呑み、そのまま駆け寄って短刀をはたき落とす。
「馬鹿な事はよしなさい!!」
 うつろな表情を浮かべたまま、ゆっくりと見上げたその瞳の色に、眉根を寄せた。

―――全てが、紅い。

 親友の姿を血色の眼に映し出し、不意に、光が戻った。
 そして、涙腺が解けてゆく。
「う・・・あああああぁぁぁぁ」
 シェルビーにすがりついて、号泣する。
 胸を締め付ける程に哀れなその姿に、言葉を失った。
 美しかった黒髪は無造作に切り捨てられ、所々で長さが異なっている。その頭髪をなでつけながら、子供のように泣きじゃくる友の華奢な肩を包み込む。
「何があったのかは聞かないわ。でも、アンタが何をしたのかは大体想像がつく。
 アンタの怒りはもっともだと思う。でも、解るわね?それは許される事じゃないって。死んで楽になろうだなんて、そんなぬるい考えは許さないわよ。血反吐吐いたって、泥水飲んだって、辛酸嘗めつくしたって、アンタは生きなきゃだめ。生きて、自分がやったことの責任を取りなさい。そのかわり、アタシもアンタの罪、共有してあげるから」
 生かす為の理由なら、何でも良い。自分という人間が、彼女の死を求める気持ちの足枷になるならそれで良かった。
 友に対して、特別な愛情を抱いているかと問われれば、答えは是であり否でもある。
 世の大多数の者が求めるような、肉欲を伴う相互愛は欲していない。そういう目で彼女を見たことは一度もないから。
 どちらかというと、親であり、兄弟姉妹であり。血のつながりなどないくせに、肉親に近い感覚。きっと、己の魂が、彼女に対して深い類似性を感じている。
 不器用な程に、自己という魂でしか生き方を肯定できぬ所に。
「生きてれば、違う扉も開くわよ、きっと」
 シェルビーの言葉に、フロウは泣きながらそっと頷いた。
 日差しの中に、悲鳴のような嗚咽が乱反射していた。



 ※オセロ(Othello)・・・ウィリアム=シェイクスピア作の悲劇。和製ボードゲームの名前の由来になった事でも有名。



 前へ次へ

〔テーマ:自作小説(ファンタジー)ジャンル:小説・文学

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。