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category第1章

3・千尋の谷(後半・4)

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 すっかり花が開ききったコップを二つ持って、エルンストが炊事場に入って行ったそのあと、この家の子供が元気に戻ってきた。
「ただいま~」
 先ほどまでこの中で話し合われていた内容など知る由もないリッキーは、相変わらずの天真爛漫ぶりだ。
 メリロは、彼に用事を頼んだエルンストの意図をここにきてようやく理解する。
 複雑な思いでリッキーを見つめる。
「なに話してたの?」
 リッキーは不思議そうにそうたずねながら、メリロの方へ歩いてくる。
 それと同時にエルンストが炊事場の方から戻ってきた。
 新しく入れなおしたのか、やはりその手にはコップが二つ。
 その片方を再びメリロの前におき、自分は手にもったまま座ろうとしない。
「リッキー、おまえもここに座りなさい」
 そのように告げて、厳しい表情で息子を見つめる。
「どうしたの?なんかあったの?」
 ただならぬ空気を読んで、リッキーの表情が徐々に曇ってゆく。
 何かに気づいたように一瞬立ち止まり、メリロの横顔を見つめる。
 居心地悪そうにリッキーがメリロの隣に腰掛けたのを見届けて、ようやくエルンストも腰をかけた。
 間髪入れずにエルンストが口を開く。
「話は全部メリロさんから伺った。今日限りでお前は勘当だ」
 厳しい口調でリッキーに宣告する。
 その瞬間、彼の表情から血の気が引いた。
「だって!」
 精一杯の反抗を試みたが、絶対権力者の前では無力だった。
「言い訳は無用!もはや私の息子ですらない。出て行くがいい」
 冷酷に彼の父は言い放った。
 少しでも甘さを見せれば、未練が残るのを知っているのだ。
「裏切ったんだね、メリロ!」
 リッキーの怒りが胸を刺す。
 覚悟はしていたが、責められるのはやはりつらい。
「すまない、リッキー」
「メリロさんを責める筋合いなどない。すべてお前のせいだ、リッキー!」
 父親はさらに追い討ちをかける。
「友達だと思ってたのに!」
 そう叫んで、泣きながら二階へと駆け上って行く。
 少年の後ろ姿を見送りながら、うつむいた。
 言いようのない苦しみが、体中を駆け巡っている。
「申し訳ない。許してやってください」
 力が抜けたように、エルンストはつぶやく。
 メリロは、彼の強靭な精神に脱帽する。
 年端も行かぬ血のつながった自分の息子を、手放すことがつらくないはずはないのだ。
 まして、恨まれるのを承知で悪役をかってでるなど。
「もし何かあったら、そのときにはいつでもここへ戻るよう伝えてください。
 運がよければ私はまだ生きているでしょう。そうでなくても、あの子の姉がこの街に住んでいますから」
 そうつぶやいて、即座に席を立つ。
 部屋の隅に置かれた物入れから、皮の小袋を取り出してメリロの前に差し出す。
「2000バルク入っています。それと、呼応石が二組。役立ててください」
 メリロが引き受けることをみこしてか、きちんと用意されていたようだ。
 やはりこの男、底が深い。
 引き受けるといった以上は、礼儀を踏まえようではないか。
 なぜなら彼は、誇り高き砂漠の民なのだから。
「責任を持ってお預かりいたします」
 恭しく、そう述べた。
「やはり、私の見る目は正しかった」
 そう、晴れ晴れとかたる父親の顔をまじまじと見つめる。
 子供と同じ色の髪、肌、耳飾り。黒々とした顎鬚を蓄えている。
 そして、冴え冴えとした深い海色の瞳。セルジアンゼルで見た海の色と同じ蒼。
 小さき子と、この父親が親子であることの証。
 獅子は我が子を千尋の谷に自ら突き落とすという。
 エルンストは見事に本懐を遂げた。
 彼の子が父の愛情を理解する事になるのは、幾年も先のことになるだろう。



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〔テーマ:自作小説(ファンタジー)ジャンル:小説・文学